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焦り不安になる人

自宅に帰ってきても、焦る人がいる。寝る時は不安になりどこか落ち着かない。時間がないように感じ、何かしていないと落ち着かないが、やる気がでないので特に何もするわけではない。

避けがたい困難を経験すると、焦り不安を感じるようになる。目の前のことに取り組もうとし、向上心がある。しかし、何をしても不安である。本人は不安を感じているとも思わない。

焦り不安になる人は、これまで大変な環境にいた。家庭内で暴力があったかもしれない。日々罵倒が飛び交ったかもしれない。強い言葉をかけられ続けたかもしれない。無視され続けたかもしれない。冷酷な態度を取られたかもしれない。不機嫌で機嫌をとり続けなければならなかったかもしれない。躾と称して感謝を強要されたかもしれない。感謝していなけれども、ありがとうと言わなければならなかったかもしれない。私は不幸でいっぱいなのと、悲観的な人をそうだね、大変だねと励まし、言葉を聞き続けたかもしれない。これをしたから、あれをしてねと恩着せがましく接されたかもしれない。そんな避けがたい困難をこれまでうまく対応してきた。本当に大変だった。それは日々降りかかる。

そんな大変な環境の中、自分の気持ちに蓋をすることを覚えた。世の中はこんなもんだと思う。自分が好き勝手振る舞うなんてした日には、バランスが崩壊する。攻撃される。搾取される。自分が人にこたえて動くことは当たり前となる。そうすることで、自分の周りの環境はうまく周り始める。負担が少しばかり少なくなる。そんな中で、焦り不安になる人は、囚われを持った。〜しなければならない。〜するべきだ。その考えはこれまでの激しいサバイバルを切り抜けるために必要な思考だった。その思考がなければ、ここまでやってこれなかっただろう。本当に頑張ったのだ。頑張っても頑張っても報われない世界で生き抜いてきたのだ。

そんな中で、不調が身体に出るようになった。周囲は言うだろう。あなたはおかしいと。世間とずれていると。言わせてもらうが、ずれていない。大丈夫だ。身体に不調が出るようになったのは、避けがたい困難を切り抜けてきたからだ。切り抜けた結果、疲れ果ててしまったのだ。それなのに周囲は、こんなに〜と言ったのにどうしてそうなったの、〜になるなんてあなたの努力不足だ、〜は一時的なものじゃない?そうやって悲劇のシンデレラぶるのはやめなよ、と。悪者、できない人、普通ではない人かのように扱う。しかし、そうなったのもそのような言葉をかける人のことを想ってきたのだ。何かと大変そうだから、その甘えを受けとめてきた。期待にこたえてきた。自分も頑張ってきた。目標を立てたり、試行錯誤したのだ。避けがたい困難を乗り越えてきたのだ。

周囲のとやかく言う人は、囚われがある人だ。不安のある人だ。自分が身体に不調が出るようになったのは、囚われがある人にこたえてきたせいだ。無意識のうちに、サバイバルを切り抜けるためにこたえてきたのだ。自分が自分のためにやっていることだったけど、と回想できたとしても、それは突き詰めれば誰かのためにやっていた。それがいつの間にか自分のためと関連づけていただけだ。やる気がない、疲れた、身体に不調がある場合、無理をしづづけてきたのだ。囚われがある人にこたえてきたのだ。

囚われがない人は、無頓着である。やる気がない、疲れた、体調が変であることに対して、とやかく言わない。そうだったんだね、とそれを受け止める。どうすればいいか?と聞くと、ゆっくり休むといいんじゃないかな。と言う。変だ、ずれている、頑張っていないなどと言わない。もっと努力しろなどと言わない。もう十分頑張っていることを理解している。

焦り不安になる人は、満たされ何者にでもなれる人になれる。今がどんなに絶望的な状態に思えても、満たされて何者にでもなれる。朝起きて、なんだか身体がだるいといったこともない。朝目覚ましをつけずとも自然に起きて、何かしたいなと思うことを素直にする。ひと伸びする。好きな飲み物を飲む。朝の爽やかさを感じる。これをやってみたいなと思う。やってみたいことを素直にやってみる。しばらくすると、少し疲れるので、休む。ゴロンとねっ転がり、一休みする。仮眠するかもしれない。またふと起きると、お腹が空いている。好きなものをパクパク食べる。食べて眠くなるので、しばらくゆっくりする。ゆっくりしていると、やってみたいと思うことがまた湧いてくる。やってみる。集中する。いつの間にか時間が経っている。そうしている間に、家族と触れ合うかもしれない。外の人と交流するかもしれない。そうして人と関わっても、焦ることはない。たわいもない会話をする。ゆっくりとお風呂に入る、そしてふかふかのお布団に入る。毎日穏やかである。不安に感じることもない。満たされている。やってみたいと思うことを、無理にうまくやることもない。下手でもいいからそれに取り組むことを楽しむ。こうしてやろう、こうしないとダメだなどと思わない。何かと比較しない。そうして取り組んだことを経て、何者にでもなれる。焦り不安になっていた頃は予想もできなかった自分に、満たされた自分になることができる。


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