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ルーチーンには2種類ある

ルーチーンには2種類ある。不安から来る何かすると決めてするルーチーンと安心して自然とそうなっているルーチーンである。これらのルーチーンを積み重ねた先に何が待っているのか話していこうと思う。

不安から来るルーチーン

不安から来るルーチーンは、自分を何か他の何者かになろうと決めてする手段である。例えば、身体を鍛えること、食事制限すること、勉強することである。身体を鍛えればいいことが沢山ある。体力がつき、自分はできるという自己肯定感を積み重ねることができる。自信がつく。食事制限だってそうだ。これを飲む、これを食べると決めておけば、身体に変化がある。健康になる。勉強はこれまでできなかったことができるようになる。気づきがある。毎日取り組む。

不安から来るルーチーンを続けていると、いつか疲れる、できなかった、やる気がでないという時が来る。しかし、これまで続けてきたから、ここで辞めると負けた気がすると、えいやと気を張ってそれに取り組む。苦労してやったからこそ、語れる。これがよかった、これがよくなかった、効果があったと語れる。

ルーチーンを続けている中で何かしら結果が出る。当初ここまでいけるといいなと抱いていた目標を達成する。すると、とたんにやらなくなるか、どんどん過剰になっていく。突き詰めると、不安からまた何か新しいことを始め、ある程度できたら辞めるを繰り返す。または、どこまでも追及する。身体が壊れるまで続けるようになる。

安心から来るルーチーン

安心から来るルーチーンは、気づいたらそのルーチーンができている。やる日もあるし、やらない日もある。無理をしない。しかし、長い目でみると継続してやっている。例えば、例えば、身体を鍛えること、食事制限すること、勉強することである。身体を鍛えるのも、今はここの筋肉が弱っている気がするからと取り組む。食事制限も本人は制限しているという感覚はない。昨日は沢山食べてお腹いっぱいだから、今日の昼食は軽めにしようと言った形である。勉強も気づいたら勉強している。そこ気になっていることを調べたり、自分で考えたりしている。本人には勉強しているという感覚はない。気づきがある。取り組まない日もある。

安心から来るルーチーンを続けていると、疲れない。いつまでもできる。しかし、いつまでも続けるわけではない。少し身体が疲れてきたなと思えば、休息する。そして、再度取り組む。その時はやる気に満ち溢れている。気を張らない。上手にやろうとしない。下手でもいい。周囲と比較しない。そのことを楽しむ。苦労していないため、人にはそんなに語らない。それぞれ周囲の人はそのような感覚で何か取り組んでいると思っているし、こうするべきだ、あのやり方がいいなどと言わない。自身が試行錯誤して、ベストなど存在しないことを知っているし、人により違うことを理解している。

ルーチーンを続けている中で何かしら結果が出る。当初は夢を持っていた。こうなったらワクワクするな、面白いな。しかし、その結果は当初の夢とは違う形であったりする。しかし、満足している。満たされている。そして、また無理なくそのことを継続したり、新しいことを始める。その取り組みは、いつも新鮮で継続していたことでも、初めてやるような感覚である。マンネリがない。そうして積み重ねた結果、いつまでも満たされている。自身にしか生み出せないものを作り、周囲には人に囲まれている。どんな状態も愛せて、新しいことに挑戦できる。


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