酔っ払っている

すごく好きな文章がある


進撃の巨人という漫画のあるキャラのセリフで、人はみんな何かに酔っ払ってて、そうでなきゃやってられなかったんだ、というようなセリフだ


酒、女、金、力、云々、、


例えばお金稼ぎで自己肯定感を得たり、ある宗教的価値観をよりどころにしたり


人は何かしらに頼って生きているんじゃなかろうかという話である


というか、みんなそうしなければ生きていけないと言い換えた方が適切かもしれない


とすると、気になるのが私自身が何に酔っ払っているのかということだ


今日は少しそのことを考えてみたい


先に挙げたいくつかの例を自分に当てはめて考えてみる


酒に酔わねば日々を生き抜けないわけでもなく、女にうつつを抜かしているでもなく、お金稼ぎに傾倒しているわけでもない


どれも自分の人生を彩る欠かせないピースであることは疑いようもないが、自分のアイデンティティを代表させるにはいささか頼りなさを感じざるを得ない


昨夕から今に至るまで、そこそこの量の飲酒をしたことを考えると、暫定では私の「酔っ払っているもの」は酒ということになりそうだが、いやそんな話をしているわけではない


幸福論として、人生哲学としての「酒」はなんなのだろう


こんなものは十人十色、千差万別であることは承知している。決まり切った正解なんてものはなく、正しさを問うようなものでもない。それ故に何を選んだらいいのか、自分の頭をひねるより他ないところが、ただならぬ人生の醍醐味ともいえよう


こうして家路についてから、浮ついた頭でぐるぐると哲学じみたことを思案していたものの


どうやら私の「酒」は酒であるということになりそうだ


いや何を言っているんだという誹りもあるかもしれない


先の冗談と解を同じくしてしまったことで誤解を招いてしまうかもしれないが


大きく途中式が異なるということを今から説明したい



数時間前のこと、仕事を終え、仕事仲間と居酒屋におもむき、卓を囲んだ


可愛い女の子の話、下世話な話、仕事での失敗談、上司の悪口


話にも花が咲き、皆顔を赤くしてゲラゲラと下品な笑い声をあげる


辛い毎日の労働や、鬱陶しい人間関係など吹き飛ばすような爽快さがそこにはあった


爽快という点においては、ビールの炭酸が一役買ったことも否めなくはあるが


少なくとも私が生きるには足る幸福度であった


酩酊であることが私を幸福たらしめたわけではなく、あの場所、あの時間、あの温度、あの間合い、もっといえば某串カツ田中の2階、左側のテーブル席と賑やかなお店の雰囲気


そしてその場所で気の合う仕事仲間と過ごす時間が



それを可能にしたのである



そこにあったのか、と思った



BLEACHのウルキオラさながらに



QED



お分かりいただけただろうか



酒の席にこそ私の幸せがあったということ



そして今やはり



私は酔っ払っている





























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