おだけん

田舎にいます。

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それは誰が悪いのか

仕事でミスをしたとする。誰が悪いのか、という話になる 昨今の世の中ではミスが出ないような仕組みづくりが大切だということがまことしやかにささやかれているが、そこに疑義を呈したいわけではなく 自分のその時の心のあり方を問うてるわけである 明らかに自分悪くないでしょ!という場面も多々あるが、そこで終わってしまっては成長がない よく言われるのは、自責思考の人の方が成長するという話だ。何があっても自分を省みながら前に進む。アドラー心理学でいうところの課題の分離ということになろう

    • 酔っ払っている

      すごく好きな文章がある 進撃の巨人という漫画のあるキャラのセリフで、人はみんな何かに酔っ払ってて、そうでなきゃやってられなかったんだ、というようなセリフだ 酒、女、金、力、云々、、 例えばお金稼ぎで自己肯定感を得たり、ある宗教的価値観をよりどころにしたり 人は何かしらに頼って生きているんじゃなかろうかという話である というか、みんなそうしなければ生きていけないと言い換えた方が適切かもしれない とすると、気になるのが私自身が何に酔っ払っているのかということだ 今日

      • 月を見ていて、これ見つけたやつ天才だなと思った 月を夜空に見つけたことがすごいということではなくて、あのシステムに気づいたことを見つけたと形容している。夜空に浮かぶ光体のなかで月だけが異なシステムで在るからである 凡人からすると星の中で一個、一際でかくて形がちょいちょい変わるやつがいる程度にしか思えない 太陽があの角度で月を照らして、とかいうことを初めに見つけた人は天才だと思う 話は変わるが、僕は天才になりたい。とすると、月の満ち欠けシステムを解明した天才同様、二つの

        • art

          落合陽一さんの文章を読んでてよくわからないと感じる。それはartだからなのだろう 誰かが何かを思って絵を描いたとき、絵を通じて考え全てを理解することができないようなものか、と自分で勝手に納得した それは絵で描くか文字で書くかの違いにすぎなくて、右脳的感性を現実世界に表したとき、クオリアが形を得るというか 僕自身もまとめきれないでいるので、ふわっとしたこの文章もまた一つartなのだと思います笑

        それは誰が悪いのか