それは誰が悪いのか
仕事でミスをしたとする。誰が悪いのか、という話になる
昨今の世の中ではミスが出ないような仕組みづくりが大切だということがまことしやかにささやかれているが、そこに疑義を呈したいわけではなく
自分のその時の心のあり方を問うてるわけである
明らかに自分悪くないでしょ!という場面も多々あるが、そこで終わってしまっては成長がない
よく言われるのは、自責思考の人の方が成長するという話だ。何があっても自分を省みながら前に進む。アドラー心理学でいうところの課題の分離ということになろうか
ただ自責思考が強すぎる人はうつ病になってしまったりとそれはそれで問題もありそうだ
かくも心の持ちようというのは難しいものかと考えされられる
どこかで聞いた言葉で、「強くなければ生きていけない、優しくなければ生きている価値がない」というものがある。この言葉は人生訓として私の心にも強く響いた言葉であるが、責任の所在を考える際もこのような中庸の精神というのはひどく有益であると感じる
上記のような「強くなければ〜」というような言葉を座右の銘として据えるのはやや冗長である気がして、端的に言い表せないものかと、しばしばこういった話を数学のベクトルの概念で考えることがある。矢印の向きと大きさが大事だということで、言っていることは先ほどから変わっていないのだが、「ベクトル」というone wordでもって人生訓たりえるのは非常に簡便で個人的には大層気に入っている
タイトルからは道を逸れた感じもするが、アインシュタインの言葉を借りると、思考はそれ自体が目的であるので良しとしよう
日常の些末な悩みなど、思考の五線譜の中に溶け込んでしまうようである
今日も良き日でありました
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