ナースのお仕事__

なぜ?「看護」を職に選んだのか…

私は、看護師の仕事がどういう仕事なのか?

知らずに「ナース」になりました。

「えっ?」

ですよね…(笑)

遠い昔、学生時代の私は漠然と「人の役に立つような仕事がしたい」と思っていました。

職種も全く考えていなかったし、まして看護婦さんなんて…

ただ、中学生のころ旅行先の山で滑落した私を山岳救助隊が助けてくれました。とても優しくて頼もしい大人たちに初めて接した気がしました。

そのことがずっと頭の隅に残っていて、

「人の役に立つような仕事がしたい…」と考えるようになった気がします。

看護師を目指すきっかけになったのは友人のお父さん

「看護師」という仕事…

私の学生時代は、まだ「看護婦さん」という名称でした。

女性が多い職業で、男性は「看護」と呼ばれ、「婦」と「士」で呼び方を分けていた時代…

一般の病院で「士」はあまり見かけませんでした。

それでも看護師を目指すことのなったのには友人のお父さんの勧めがあったからなんです。

私は沖縄で育ちました。

米軍基地が近くにあり、基地内にも友人が多数生活しています。

一番の友人はハーフのパトリック。

高校時代のアルバイト先で仲良くなった友人。

パトリックのお父さんはアメリカ人。

米軍基地内で医療系のお仕事をしていました。

私には父親がおらず、パトリックのお父さんはとても優しくて、なんでも相談にのってくれる父親みたいな存在でした。実際ダディって呼んでいたこともあって自分の父親みたいな思いもありました。

そんな中、湾岸戦争がはじまりダディも戦争へ。

戦争を経験したダディの言葉は重かった。

おっと、

戦争の話を書きたいわけではないので話を戻しますね!

看護師を目指すための選択肢

漠然と思い描いていた「仕事」に関する思い…

「人の役に立つような仕事」

当時、山岳救助隊なる職業は日本にありませんでした。

色々調べましたが、山岳等で救助活動ができる仕事にたどり着いたのは、消防隊員や自衛隊などの職業の選択肢。

どうしよう…

家庭環境が複雑で金銭的にも決して裕福でもなく、多くの選択肢から将来をチョイスできるような環境ではなかった私の周りに、頼れる大人はダディだけでした。私のことを自分の子のように優しくしてくれる彼は、3つのことを私に教えてくれました。

①救助等の過酷な現場での活動は、専門的な知識や判断がより重要である。
②医学的な知識の蓄積は、より多くの活動を支えるであろう。
③働きながら学べる環境が必ずどこかにある。

とはいえ、どうしたものか…

私は初めて学校の学生課を訪ね、進路相談室というものを利用しました。

そこで見つけたのが、「勤労学生」という選択肢。

ダディに教えてもらった3つのポイントを踏まえ、医学的知識の取得と稼ぎながら学ぶという2つに当てはまったのが「自衛官」と「勤労看護学生」。

自衛官

自衛官候補看護学生として自衛隊に入隊し、学生でありながら給与を頂き学ぶ働き方。

勤労看護学生

看護助手として病院に就職し、看護学校へ通学させてくれる制度。看護学校を卒業後、ある一定期間の就業を規約とし就職するという働き方。「お礼奉公制度」とも呼ばれていました。

先にも述べましたが、家庭環境の都合で当時の私の保護者は祖母でした。進路を決める際に、保護者の同意は必要。祖母に進路決定について相談しましたが、「自衛官」になることは拒絶されました。

「人のためになる仕事がしたい。働きながら自分で学び迷惑をかけたくない。という考えは賛成する。でも、自衛官だけは絶対にダメ…」と。

何故なら…祖母は「沖縄戦」を経験していたから…

左腕には銃痕が残り変形していました。当時の祖母は、戦争の話など絶対にしてくれない人だったのに、進路を決める際の選択肢を話した途端、すごい表情で反対されたことが、今でも強く印象に残っています。

祖母の姉はひめゆり学徒隊だったそうです。祖母もまたそのお手伝いをしたと。だから、戦争と繋がるかもしれない「自衛隊入隊」は拒絶すると。

そんな流れの中で、最終的に残された選択肢が、勤労看護学生として働きながら看護師を目指す!という道だったのです。

繋がらないようで繋がっていた「看護」職への道!

自分がケガしたことがきっかけで、ただ漠然と思い描いていた職への道…

繋がっていないようで、いま考えるとちゃんと繋がってたんだなぁと思う。

ダディは米軍で医療のお仕事。育ててくれた祖母はひめゆり学徒隊。周りに医療系で働く人って全くいないと思って育ってきたのに、ちゃんと影響されてました。

あれから数十年…

働きながら学び、准看護師から進学し正看護師免許まで取得しました。看護師としてのキャリアは20年以上…准看護師としての勤務からすると四半世紀は看護職として働いてきたことになる…長っ!!

この職に就いていろんな人と接し、様々な人生を垣間見てきました。

どんなドラマよりも凄い経験ができる仕事を選択したなぁ…と思います。その経験した「ドラマ」は追々記事にして行けたらなぁ~と。

人の役に立つ仕事…

まだまだ沢山ある気がします。

医療だけでなく、どんな仕事も人の役に立ってるからこそ成り立つのだと。

看護師として現役バリバリの時代、患者さんのわがままに嘆く後輩ナース達によくこんな話をしていました。

「患者さんがいるから、私たち看護師という職業が成り立つんだよ…」と。

どんなわがままな患者さんでも、わがままを言うなりの理由がどこかにあるはず…どこにも見当たらないその時は、そのわがままが病気なんだねと。生まれてくるときは、どんな人でも無条件に愛されるでしょ?でも大人になったら違ってくるのは何故だろう?患者さんの背景まできちんと考察してケアできる看護師になれると、もっと看護が楽しくなる…患者さんの需要に供給できる万能ナースになれるよう自分磨きも必要だと。

病院という現場を離れた今でも、(考え)は変わっていません。

変わったのは時代かなぁ…

医療は、治療から未病というカテゴリーにまで広く必要とされてきています。これから先は、万能ナースが必要になってくるはず。

人の役に立つ仕事をこれからも追い求めて看護師の働き方を広げていければいいなぁ…と思う今日この頃…

まとめ… 私ができる「ナース」のお仕事!?

看護師として経験したことや感じたことなど…たくさんあるので、私ができる「ナース」のお仕事⁈をタイトルに色々連載していこうかと思います。お時間のある時などに読んでいただけると幸いです。

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最後まで読んで下さりありがとうございました!



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