【認知症ケア】認知症の方の意思決定支援について考えた
今、認知症の方だけではなく、知的障がい、発達障がい、精神障がいの方の「意思決定支援」について、成年後見人だけでなく、その方々に関わる支援者に求められている。
自分が今まで関わってきた利用者、入居者の中で、当時は意思決定支援という言葉もなかったが、ご本人の想いに寄り添ってきた支援で、特に印象深かった方の支援についてお伝えしたい。
「意思決定支援」の具体的な取り組みについては、認知症の方、障がい福祉サービス等の提供におけるものなど各種ガイドラインが発出されているのでそちらを参考にしてもらいたい。
また、「認知症」という病気についても、以下のサイトを参照してほしい。
ご夫婦でホーム入居
認知症が「痴呆症」と呼ばれていた頃から、特別養護老人ホームでの仕事から始まり、在宅支援にいたり、様々な方に関わらせていただいた。
自分が特別養護老人ホームの相談員として勤務していた時、認知症の方の老夫婦で入所された方がいた。当時は介護保険制度が始まる直前で、行政の措置(市町村、主にケースワーカーの判断で入所を決定する)で入所されてきた。自宅でのお二人での生活は難しかったのだろうと思う。奥様は重度の認知症であり、ほぼ全ての行為に介助が必要だった。ご主人は軽度〜中度の認知症でその場の会話のやり取りには支障がなく、歩行も自立で、施設の中で奥様が乗った車いすを押しながらいつも一緒に行動されていた。
ある時、普段は穏やかなご主人が興奮して大声を出して騒いでいるからなんとかしてほしい、とフロアスタッフからの助けを求められた。行ってみると、彼はどうしても外に出たいが、頼んでも聞いてくれない、といって怒っていた。スタッフは入浴の介助があるし、彼にも入浴してもらいたいから付き添うことができない。彼は、出口がわからないためうろうろとフロアを怒鳴り散らしながら歩いていた。少し疲れて落ち着いたところでゆっくり話を聞いてみると、ここを出て、すぐそこまで行きたいだけなんだ、という。どうしても行かないと気がすまなそうだったので、自分が付き添って車に乗って外に連れ出した。
外出したかった理由は?
施設を出て、「右側に言ってくれ」「道路に突き当たったら左に曲がるとすぐそこにあるんだ」という。曲がったところに行き先の場所がなかったようで、しばらく何回か繰り返しそこを往復した。何度か「おそらくなくなっちゃったんじゃないかな」などと諦めてもらうようにうながしたが、「おかしいなぁ、ぜったいそこにあるはずだ」となかなか諦めなかった。よくよく話しを聞いてみると、どうやらお酒を飲みに出かけたかったらしく、それならばと近くのファミリーレストランに入り、ビールを一杯飲んでもらった。彼も気がすんだらしく一応落ち着いた様子だったので、「じゃあ帰ろうか」といい、なんとか施設に戻ることができた。施設に帰るまで2〜3時間くらいかかったと思う。
その後、フロアスタッフと話し合い、月に1〜2回、外出して昼からやっている居酒屋に行くことにした。彼は「〜〜や(屋?家?)」という名前の店に行きたがった。いろいろ探して「庄屋」とか「藍や」とか「や」がつく店をいくつか行ったと思うが、お酒は飲めるものの何か納得しきれていないようだった。
行きたかったところ
ある時、夫婦が施設に入居する前に住んでいたという団地の前を通り、もしかしたらここの近くに目的の店があるのかも、と思い、彼を連れて車で自宅があった団地に向かってみた。住んでいた棟から右に進み、突き当たりの信号を左に曲がった時に「ここだ!ここで止めてくれ!」と言って左側にあった小さなスナック見つけたのだった。たしかに「〇〇や」だった。車を停めて二人で中へ入ってみると、「お〜!〇〇ちゃん!」「久しぶり〜!」とカウンターの中からママさんらしき人、そして客席にいた何人かの人が同じように、彼が久しぶりにやってきたことを喜んでくれたのだった。彼も自分が初めてみるような笑顔で、久しぶりの友人たちに再会できたことを喜んでいた。みんなと一緒にビールを少し飲んで、楽しい時間を過ごし、本当に満足して帰ることができたのだった。
それからは、月に1回、自費でヘルパーさんに依頼して「〇〇や」に行くことになり、彼もそれを楽しみにすることができるようになった。
親族による成年後見人がついて
ご夫婦には、だいぶ前に縁を切られたという遠方に住む養女の方がいた。連絡先も不明だったのでこちらから連絡することはなく、面会に来たこともなかったが、どうやって調べたのか入所してだいぶ経ってから司法書士の方から連絡があった。二人には、そこそこの預貯金があり、自費のヘルパーをたくさん使ってもまったく問題ないほどの経済状況だった。養女の方が後見人になるという申し出があり、詳しいことはわからないが関係性が良くない二人にしてみれば、それは望まないことだったかもしれない。養女はご本人たちにに会うこともなく、司法書士の方が手続きをして彼らの通帳を預かっていった。
その頃、成年後見制度も走り出してまもなく、自分も今のように制度を知っているわけではなかったので、彼らが何かあった時に使うために、長年働いて築いてきた資産を、簡単に持っていかれてしまうことに、疑問は持ったものの何もすることができなかった。いや知っていても何もできなかったかもしれない。施設金庫で預かっていた通帳は、施設で預かっているというだけで、意向が確認できないと本人のためにであっても、積極的に使うということは、その立場ではないのでできない。施設の費用の口座引落と、必要最小限の物品購入くらいしかできなかった。自分たちがどのくらい預貯金があるのか、その場の会話のやり取りはできるご主人の方であっても認識はしておらず(できず)、何に使いたいかの意思を表示することもなかったので、そのまま後見人である養女が消極的な財産管理をして、多くの金額を残し、最後に相続を受けることになるのが目に見えていてもどうすることもできなかった。
支援者としてできることはなにか
施設入所する前にさかのぼって、その時に支援者として関わることができるのであれば、彼らの先々の希望や、どうしたいか、将来、何にどのようにお金を使いたいのか、信頼関係を築きながら一緒に考えることができる。
いや、入所して飲酒がしたい、友人に会いたい、という意思表示があったことは事実で、その時に記憶障害や判断能力が低下している状態ではあっても、寄り添って繰り返しの会話の中から、何か二人にとって大事なこと、必要なことが引き出せたのではないか、とも思う。
認知症の方の支援では、支援が必要になってからの関わりは、事後的な対応がおおく、場合によりリスクを回避するだけの支援になることもある。本人が自ら何かが起こったときに備えて、十分な準備する人は多くはない。ご家族の関わりがある人で、愛情深い家族関係を築くことができた人もいて、そういう場合には、本人の医療同意がとれない場合でも、終末期に関わる医療措置の意思決定などを、家族に委ねることが最善の選択であると考えることもできるかもしれない。
認知症の人の意思決定支援という枠の中で考えると、関わりの中からその人らしさ、人生の最後のステージで望む生き方、などを知ることは、表面的なやり取りや、発した言葉や表れる行動、感情表現だけで判断することはむずかしい。その人がどう生きてきたか、どのような価値観、人となりだったのか、すべてをとらえることができるわけではない。
しかし、激しい行動障がい、認知症の周辺症状などで表現することしかできない人の場合でも、その人の心身の痛み(身体の痛みであっても適切に表現できない場合もある)、苦しみ、不安などを、想像力をもって背景から感じとり、理解することで、その行動の真因(本当の意味)をとらえ、その人の意思表示として受けとることもできる。それを元に、具体的な支援のあり方を考え、環境を含めて調整していくことが必要であり、その過程から実現までの一連も、意思決定支援の一つの形ではないかと思う。
そして、多くの方の最終の場面での関わりから得られたことを、その後関わる新たな方々へ還元できるよう、予防的な支援として提供することも与えられた役割であると思っている。