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赤の他人とは思えない「赤の町」のこと

コロナ禍でなかなか旅に出られない昨今、妄想旅行が話題になっている。
国内・海外を問わず、その土地のストリートビューを楽しんだり、行きたい名所のガイドブックを作ってみたり、名物をお取り寄せしたりして、少しでも旅気分を味わおうという取り組みだ。
最近では旅行会社が主催する現地ガイドによる世界一周ツアーが人気を集めているらしく、旅を愛する方々の創意工夫は留まることを知らない。
きっと旅を愛する人であれば、事態が収束したら訪れたい場所が1つや2つ必ずあるはずだ。
私にとってそんな場所の1つである「赤の町」のことを話したい。

私がその場所を知ったのは今から10年以上前のことになる。
当時付き合っていた人の好物がその町を知ったきっかけだった。
彼が実家に帰る頻度はそんなに高くなかったが、帰省したときには必ずお酒と一緒に「それ」を食べるのだと、笑みを浮かべながら話してくれたことを覚えている。
彼の好物の産地がその町だったのだ。
後で知ることになるのだが、この町のゆるキャラはその名産品を擬人化したものになっている。
私自身はその食べ物の存在をそのとき初めて知ったのだけれど、正直驚きを隠せなかった。
彼から話を聞いた後にインターネットで検索してそれを調べたのだが、ぱっと見てどうやって食べるのか分からなかったからだ。
その真っ赤な見た目と外見のインパクトゆえに「これは本当に食べられる代物なのか!?」とさえ思った。
あのときは本人が目の前にいなくて、本当に良かった…。
さすがに好物だと言っているものに対して「これは食べられるんですか?」と尋ねるのは失礼にも程があるだろう。
ちなみにその町の名前の正しい読み方を教えてもらったのもこのときだった。

更にその町を全国的に有名にした出来事が10年前に起こった―東日本大震災だ。
地震発生時、私は大学の研究室にいた。
当時は就職活動の真っ最中で、午前中は都内の企業の説明会に参加していたのだが、実験のために昼過ぎには学校に戻って来ていた。
都市の交通機能にも甚大な被害をもたらしたこの地震で、帰宅難民になったという人もいるのではないだろうか? 
学校まで電車で通っていた私もその例外ではなく、翌日の夜まで大学に待機せざるを得なかった。
幸いなことに通電はしていたので、学校から配給された非常食を作って空腹をしのぎ、同じように家に帰れなくなった先輩と一緒に一夜を明かすことになった。
研究室にテレビはなく、そのとき情報源代わりになっていたのはパソコンのニュースのストリーミング映像だった。
地震や津波も風化させてはいけないのだけれど、私の脳裏に焼き付いて離れないのは炎の画だ。
真っ黒な画面の中で、赤々と燃え盛る炎。
徐々に広がる紅蓮の火の手ともくもくと上がる黒い煙柱。
それらが建物と思しき黒い影を次々と覆い隠していく、この世のものとは思えない光景を呆然としながら先輩達と見ていた記憶が、私の2011年3月11日の記憶で最も鮮明なものだ。
関東では断続的な余震もあり、眠れない一夜を過ごした。
このときの記憶がもととなって、この町に対する私のイメージカラーは「赤」になっているのかもしれない。

 この町にまつわるエピソードは他にもある。
私がお取り寄せするお気に入りのさんまの佃煮があるのだが、偶然なことに製造元が「赤の町」にあるのだ。
さんまもこの町の名物の1つで、目黒区と友好都市協定を結んでいるほどだ。
東京在住の方ならご存知かもしれない、毎年9月に目黒区で行われる「目黒のさんま祭り」。
あのイベントでさんまを提供しているのが実はこの町なのだ。
昨年はコロナウィルスの影響で中止になってしまったが、それまでは毎年数千匹ものさんまを提供していたというから驚きだ。
それはさておき、大海原を泳ぐ赤身のさんまが丁寧に手仕事で加工され、黄金色のタレが絡まるふっくらとした佃煮になる様を想像しただけで、涎が出てきそうである。
そんな私にとって身近な「赤の町」のことを、どうも他人とは思えないのだ。
何ならちょっぴり運命的なものさえ感じている。
そんな特別な感情を抱いている「赤の町」で、さんまの佃煮のお取り寄せでお茶を濁すのではなく、実際に足を運んで現地でその名物を味わい、舌鼓を打ちたいのだ。
復興支援と言ってしまえば聞こえは良いかもしれないが、それが私の正直な気持ちだ。

 2つ目のヒントでピンときた方が多いと思うが、「赤の町」の正体は宮城県 気仙沼市だ。
私は長らく「きせんぬま」と読むのだと思っていたが、正しくは「けせんぬま」である。
ちなみに冒頭で記載した元彼の好物は「ホヤ」で、ゆるキャラは気仙沼の観光キャラ「ホヤぼーや」のことである。
あの少々見た目がグロテスクな生き物があんなにかわいらしいキャラクターになってしまうのだから、ゆるキャラのパワーは凄い。
気仙沼に行ったら、ホヤぼーやにも是非とも会いたいものだ。
タイミング良く、気仙沼は次のNHKの朝の連続テレビ小説「おかえりモネ」の舞台になると聞いた。
どうやら昨年から既に発表されていた情報らしく、当の気仙沼は大盛り上がりのようだ。
朝ドラフィーバーを受けて、今年か来年には気仙沼ブームが来るかもしれない。
そのときは私も便乗して、「赤の町」に行くとしよう。

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