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ep9 高血圧顛末記(1)

健康を維持するのはなかなか大変。生物は基本的に自己防御本能があるので、巷にある情報をそのまま鵜呑みにして従い、それを情報発信者の責任にするのは如何なものでしょうか。
私は長年勤めていた会社を中途退職し独立してから、今でも高血圧状態です。健康診断で引っかかって以来、減塩もしてきたし減量もしてきたけど、いっこうに下がりませんでした。健康診断で問診してくれる医師からは病院にかかれと言われ続けてきました。

起業3年目で脳梗塞


「病院にかかる=降圧剤を処方される」ので、病院に行くのを避けていました。降圧剤は飲み続けなくては一生飲み続けなくてはいけないらしい。そんなの病院の思う壺だ。医学にちょっと詳しいので、根本原因は精神的ストレスだと考えていました。サラリーマン時代とは違い、起業して精神的ストレスが高まっていたタイミングと合致するし、仕事に慣れて下げるしかないなと高をくくっていました。取引先の理不尽がピークに達したとき、脳梗塞の発作が起きました。2003年の夏至ごろの金曜でした。右半身の皮膚感覚が失なわれたのに留まったこともあり、自分の身体の状態を知りたくて、週明けに病院へ行きました。取材で脳外科の医師に会ったばかりだったので、その医師のいる大学病院の脳外科外来の受付へ。2時間ほどしたころ、ようやく受付にいた看護士らしき人から病状を聞かれました。身体が動くんだったら神経内科に行ってと、けんもほろろ。このとき、大学病院も治療がいかに細分化されているか、ウオークイン救急の軽視を思い知る。大学病院で一人の医師を頼る危険性を改めて認識した。翌日に大学関連施設で、頭部のMRIと頸動脈のエコー写真を撮って大学本院の神経内科を受診。脳梗塞であることが判明した。しばらく通院し、2種類の降圧剤を処方された。半年ぐらい経って、家の近くの同じ大学出身の開業医を紹介されたが、そこには行かず、友人の医師に以後の診療を依頼した。その友人は、降圧剤を1種にして、その代わり、血栓をできにくくするためバイアスピリンを処方してくれた。治療はその友人ががんでなくなる2014年秋ごろまで続いた。処方箋がなくなってからは、信頼できる医師が周りにいなかったこともあって、同じ薬を服薬することができず、医者にはかからないまま、DHAやEPAを含むサプリを飲むようになっていた。

今度は脳出血!


2021年5月、脳出血治療の取材の当日の朝、左半身が動かなくなった。いよいよ脳梗塞が別の部位で再発したかも、医者にかからなかったツケがいよいよ回ってきたと思った。近くに一次脳卒中センター(すぐにEPAを静注し、脳梗塞リスクを軽減してくれる)の指定を受けている病院があることを知っていたので、妻にタクシーで連れて行ってもらった(救急車を呼んでも、違う病院につれて行かれるリスクを避けるため、確実にかかれるウオークイン救急を選択した。診断結果は脳梗塞ではなく脳出血だった。そのまま入院となった。およそ1週間後からリハビリを開始、約1カ月の入院後にリハビリ専門病院に転院。4人部屋だったが、同じ部屋の患者から嫌がらせを受けたりして病院生活が辛くなってきたのと、このままだと普通の生活になかなか戻れないと考え、早めの退院を要求したら、8月のお盆の時期に退院できた。病院はもうちょっと、入院料を取りたかったようで、運転免許用の診断書を出さないと言ってきた。でも、妻にもこれ以上迷惑をかけられないので、退院した。
ちょっと長くなったので、次のepへ

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