僕が僕である為に勝ち続けなければならない。

特に何も無いある休日。世の中のヒリヒリとした空気に嫌になった。ネットリテラシーの低い輩は、あわてふためき、自分よりもネットリテラシーの高い若者をなだめようとしている。まさに愚の骨頂である。

世間体という空気に嫌になる時がある。普段はそこまで嫌になることはないのだが、自分自身のことが上手くいかなかったりなどの「合わせ技」としては有効だ。

あまりにも閉塞的な世の中で、あえて外の空気を吸いたいなと思い、繰り出した街は新宿。キャッチのひとたちは、少し暇そうで、歩幅が合わないサラリーマンを追いかけていた。いつもは揺れているネオン街。今日はどこか寂しげだった。

そそくさと新宿を抜け出し、最近話題になっている電車に乗り込んだ。今日の昼にテレビで髭男爵のルイ53世は、電車より密集度の高いと言われているライブハウスに関して こう発言していた。

「100人収容のライブハウスでもキャパとか狭めて、20人とかでやればいいと思うんですけどね~」

やはり、その場を知らない有識者気取りの大人というのは、見ていて恥ずかしくなる。まず、100人収容されるライブハウスで演奏する人達は、100人どころか50人も呼べないこと。それを肌で感じた後に、電車に乗って欲しい。

ほらね。そうでしょう。無知やないかーい!! ルネッサーーンス!


とか思いながらも電車に乗った僕は、荒れた心を癒やすために「尾崎豊」を聴いた。尾崎が「僕が僕である為に」と叫んでいる。


「僕が僕である為に勝ち続けなければならない。」


思えば今までの23年間、妥協に妥協を重ねた人生だった。中学を機に僕たちは運命の仕分けをされ、勉強の出来る奴は進学校に行く。スポーツ出来る奴は私立に推薦で行く。今思えばそこから漏れた僕は、勝ち続けることを早々に諦めてしまった自分なのかもしれない。

尾崎は26歳でこの世を去った。彼は、確かな何かを残して去った。それに比べてやりたいことをやれど、極めたことがない。結局、だらだらと命を浪費する社会の歯車と一緒だなと感じる事も多くなった。

ただひとつ一番美しいモノは、心の中に有ると思う。精一杯生きて沢山の失敗をした事や、社会や人間に対してネガティブな感情を経験した人だけに得られる偶然の産物。そうやって世話しなく落ち込んでいる内に、短所においては愛せるようになると思う。尾崎はその愛し方がとても上手だったから、沢山の名曲を生み出せたのかとおもう。

優しさを押し付けるような大人には、なりたくない。その行為は、育成をするというよりも首を絞められ、窒息させるような風に思える。空気を読んだ上で身動きが出来なくなる世の中はおかしい。

僕は、これからは尾崎のように自由を謳う。そして、僕は僕のために勝ち続けなければならない。そう思いながら家路に着いた21:00。


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