『ケーキの切れない非行少年たち』を読んで思ったこと

最近読んだ本。

『ケーキの切れない非行少年たち』


ベストセラーであったことと、タイトルが気になって購入してみた。僕が日々考えていること自分自身に対する違和感のようなものを、専門的な立場から言語化してもらったような気持ちよさがあった。

著者は、現在大学で臨床心理系の講義を担当しており、もともとは精神科医である宮口幸治氏。公立精神科病院で児童精神科医を務めたあと、発達障害や知的障害をもち非行を行った少年たちが集められる矯正施設(医療少年院)に勤務した。

読みやすい文章で淡々とこれまでに出会った少年たちのエピソードが書かれている。重い話もデータや経験にもとづいてサラッと書かれているので戸惑う瞬間もあるのだけど、余計なエクスキューズが無いのですっきりしている。

僕は人の文章を読むときに、主語と語尾に注目する。例えば、「男は不倫するものです」という文章があるとして、文のインパクトは確かにあるのだけど、「果たして本当にそうだろううか?」という疑問が出てくる。まず「男」と言ってしまうとブルゾンちえみじゃないけれど、地球上の35億人(今は38億人?)が当てはまってしまう。つまり主語がデカ過ぎる。それから「です」という語尾について。その35億人すべてに話を聞いて、全ての人が「はい、不倫をしています」と言えば、確かに言い切ることができるのだけど、現実的に考えて35億人の中にはそもそも結婚していない人もいるし、結婚している人の中にも不倫する人もいれば、しない人だっているだろう。そういった意味で「です」ではなくて「だと思います」であるべきだと思う。「私の友人の3人のうち2人は不倫をしています」だったら納得できる。つまりは、著者の宮口氏はデータや経験に基づき確実性のある話題については言い切っていて、自分なりの感想や解釈、主張については「だと思います」という書き方をしていて信用できると思ったという話。


気づかれない生きにくさ

タイトルの「ケーキの切れない非行少年たち」とは、著者が医療少年院の法務技官だったときに対面した、凶悪犯罪に手を染めていた非行少年たちが”ケーキを切れない”という事実に直面し驚いたというエピソードからきている。実際のケーキの話では無く、A4の紙を机の上に置き、丸い円を描いて、「ここに丸いケーキがあります。3人で食べるとしたらどうやって切りますか?皆が平等になるように切ってください」という問題を少年に出したときに、一般的には簡単に思いつくような「ベンツのマークのようにして切る」という正解を導き出せなかった。

それに対する著者の考えを引用する。

(中略)しかし、さらに 問題 と 私 が 感じ た のは、 そういった 彼ら に対して、〝 学校 では その 生き にく さが 気づか れ ず 特別 な 配慮 が なさ れ て こ なかっ た こと〟、 そして 不適応 を 起こし 非行 化 し、 最後 に 行きつい た 少年院 において も 理解 さ れ ず、 非行 に対して ひたすら「 反省」 を 強い られ て い た こと〟 でし た。

この主張は一環していて、何か悪いことをしてしまった生徒に対して「不真面目だ」「やる気がない」「反省していない」という対応をしがちであるけれども、それ以前の問題としてそもそも見たり聞いたり想像するといった認知機能の弱さが原因であると考えられるが、それらは気づかれることなく少年たちは社会に出て周囲に馴染めず非行に走り犯罪者になってしまうパターンがある。それを防ぐには早期にそういった少年たちのサインをキャッチして支援する必要があるということだ。

ではなぜ気づかれにくいのか?

著者は現在、少年院ではない普通の学校のコンサルテーションや教育相談・発達相談を行っているが、相談ケースとして次のようなものがある。

・感情のコントロールが苦手ですぐにカッとなる
・人とのコミュニケーションがうまくいかない
・集団行動ができない
・忘れ物が多い
・集中できない
………など

これらは普通の学校で困っている子供たちの特徴であるだけでなく、少年院にいる非行少年の小学校時代の特徴とほぼ同じであった。

これらの背景には、知的障害や発達障害といったその子に固有の問題や、家庭内での養育や虐待といった環境の問題がある。しかし、友達に馬鹿にされ、イジメられたり、親や先生からは単に問題児として扱われ、その背景に気付かれず、結果として問題が深刻化しているというケースもある。

また、軽度の知的障害の場合には外面的には健常者と見分けがつかないので気付かれないまま社会に出てしまい、問題を起こしても周囲に理解されず非行に繋がるケースもあるという。


犯罪の責任について

冒頭の僕が「日々考えていること」とは、例えば少年犯罪や凶悪な事件が起こったとして、即「死刑にしろ」みたいな風潮に疑問を持っている。もちろん、罪は罪として追求すべきだとは思うけれども、なぜそのような行動に至ったのか、その背景に注目すべきだと考えている。そのあたりのことはこちらの記事にも書いている。

端的に言ってしまえば、罪そのものは罰せられるべきであるけれども、それが生まれ持った性質であったり外的な要因によるものである可能性も考える必要があるという立場だ。

本書において「脳機能と犯罪の関係」という項目にて、凶悪犯罪と脳機能障害の関係について記述されている。

国内 にも 目 を 向ける と、 福島 章 は、 精神鑑定 で 行っ た 殺人 犯 48 例 の 脳 MRI や 脳 C T 検査( コンピュータ 断層撮影) などの 画像診断 の 結果 を まとめ、 半数 の 24 名 に 脳 の 質的 異常 や 量的 異常 などの 異常 所見 を 確認 し まし た。 更に 被害者 が 2 人 以上 の 大量 殺人 に 限っ ては、 62% に 異常 所見 を 認め た の です。

また、児童虐待については下記のような記述がある。

法務 総合 研究 所 が 2001 年 に 全国 の 少年院 在院 者 約 2300 名 に 行っ た 調査 では、 約 半数 の 子ども に 虐待 の 被害 体験 が あっ た と 報告 さ れ て い ます。 つまり、 虐待 を 受ける と 非行 化 する リスク が ある の です。


フィクションになってしまうけれど、バッドマンシリーズの敵役であるジョーカーが誕生するまでの話を描いた『ジョーカー』という映画がある。主人公のアーサーは、やせ細った母親とボロアパートで二人暮らし。ピエロのバイトをしているが、不良少年に絡まれて暴行されたり、同僚にハメられて仕事を失ったり、脳の障害により面白くなくても笑ってしまうことにより周囲の人に疎まれている。僕には少なくとも序盤は、貧困や障害などのハンディがありながらも必死で生きている男に見えた。しかしあることがきっかけで殺人事件を起こしてしまう。そこからさらに、コメディアンの夢を憧れの人に馬鹿にされて、暴力性がエスカレートしていく…。

人によって、主人公に感情移入できるかできないか分かれるようだ。僕は主人公の行為を肯定することはできないけれど、「悪」が純粋培養される様子が丁寧に描かれており、主人公に感情移入して観ることができた。僕には、「アーサーが主体となって起こしてしまった殺人」というよりは、「条件が揃ってしまったことによる殺人」に見えた。

僕はこの映画で描かれるような殺人よりも、正義として描かれる主人公が「大義ため」に「悪人とされる人達」を大量殺人することの方に違和感を感じることが多い。悪側は悪として一面的に描かれ、主人公がそれらを殺したことを後悔したり反省することはない(もちろん、その限りではないけれど)。むしろ、目的を達成してヒロインとキスしちゃったりして壮大な音楽が流れてくるんだ。


必要な支援

子供への支援は大きく分けて学習面、身体面(運動面)、社会面(対人関係など)の3つになる。

社会面 の 支援 とは、 対人 スキル の 方法、 感情 コントロール、 対人 マナー、 問題 解決 力 といった、 社会 で 生き て いく 上 で どれ も 欠か せ ない 能力 を 身 に つけ させる こと です。 これら の どれ 一つ でも 出来 て い なけれ ば、 社会 では うまく 生活 し て いけ ない でしょ う。

著者がコンサルしている学校の殆どの先生が「社会面」の支援が最も大切と考えているが、実際の今の学校教育には系統だった社会面への教育が全くないという。

自分の問題として引き寄せて考えてみる。

冒頭の「自分自身に対する違和感」とは、僕は学校で習うような能力は備えているはずなのに、どうしてこうも生きづらいのだろうということだ。僕は主観的にも客観的にも学生時代は”良い生徒”であったと思う。問題行動も特に起こしていない。だけどずっと生きづらさは感じていた。具体的に言えば、大勢で同じ空間にいることが苦手、人の視線が異常に気になる、音に対して過敏である、コミュニケーション能力が低い、他人の感情や行動に支配されるなどだ。それについてはこちらの記事に書いた。

なかでも、コミュニケーション能力については特に大人になってから不便を感じることが多かった。孤独が好きで、仕事は一人で完結できて、生活に必要なものは全てネットショッピングでOK、友達や恋人もいらないという人でもない限り、何かしらコミュニケーションしなければならないシチュエーションは嫌でも出てくる。

非行少年の特徴のひとつとして対人スキルの乏しさが上げられている。ここでは「コミュニケーション能力=対人スキル」と考えて良いだろう。対人スキルが低いことによる弊害として書かれた一節を引用する。

  対人 スキル の 力 が 最も 試さ れる こと の 一つ に、 異性 との 交際 が あり ます。   例えば、 ある 男性 が 意中 の 女性 と 付き合い たい と 思っ た とき、「 デート し たい」 といった 気持ち を、 い つ、 どの よう な タイミング で、 どう やっ て 伝える かには、 とても 高度 な 対人 スキル が 必要 です。 デート に 誘え た として も、 女性 との 距離 を 縮める ため には、 さらなる 対人 スキル が 必要 に なっ て き ます。 相手 に〝 つき合っ て 欲しい〟 と 伝え た として も、 時期 が 早 過ぎ たり、 脈 が ない 場合 も あっ たり し ます ので、 事前 に 十分 に 相手 の 気持ち を 読み取っ て おく 必要 が あり ます が、 それ にも スキル が いり ます。 こうした プロセス の 途中 で 相手 の 気持ち を 見 誤り、 自分 の 思い込み で 一方的 に 進ん で しまう と、 ストーカー 行為 や 性 の 犯罪 行為 に つながっ て しまう こと も ある の です。

この文を読んで、やっぱり異性と付き合うのって高度な対人スキルなんだなと妙に納得してしまった。”安心した”と言っても良いのかもしれない。

以前にもブログか何かで書いた気がするけれど、星野源さんが「人見知りだと思うこと(伝えること)をやめた。それは相手に「僕、人見知りなんで気を遣ってください」っていっていることになるから」という話をしていたという記事を見て、その時は「たしかに!」と思ったのだけれど、それは本当は一定の対人スキルを持っているのに言い訳として人見知りという言葉を使っている場合に有効であって、そもそも対人スキルが低い人間にとっては難しいことなのかもしれない。星野さんも「本当は人と接することが好きだった」ことを自覚しているからこそできたことなのだろう。

だからと言って学校に対して「何でサポートしてくれなかったんだ!ふざけんな!」とは思わない。自分を形作ったものは学校が全てでは無いし、自分の努力で改善できるものもあると思うからだ。実際、人と積極的に関わるようにしてみてからある程度耐性というか、”慣れ”のようなものは身についたと思う。しかしながら、早い段階で社会面の支援があり、それが一定の効果があるとすれば受けてみたかったし(当時の自分は嫌かもしれないが…)、生きやすくなる人もたくさんいるんだろうなと思う。

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