経済的自立以外の自立について、私は"理解"できていない。

後々触れる宣言した"他の意味の自立"について。


こんにちは、「渚」です。
こちらからTwitterに飛ぶ方はせっかく連携してるのに固定ツイート以外でnoteの宣伝なんかしてないじゃん、と誤解されても仕方ないほど、趣味に活用してしまっているので別アカ作成も視野に入れてます。

いや、してるんですけどね。
少し前は呟き後半に入れてて、今は書き上がった記事を毎度ツイートしてて…
その間を見ると確かにね、覚えたてのSNSではしゃいじゃってる人感出てますけども。
こういうの始めはハマるんですが、徐々に日が空いていくタイプ。
フォロー相手もやたらと増やすとチェックし切れなくて欲しい情報逃したりするので気をつけてます。

記事+Twitterで夜は眼精疲労が辛くなってくるので、今日は反省して早めに書いてます。
あと、Twitterアンケートで入院前日までに固定1000ビューいくか賭けしてるからです(笑)
はしゃいでるの、まだ。

以前、疲労から手をつけられないと言い訳し、「セトウツミ」しか解決(?)できていない、今までの記事でちょい触れした事を消化しようと思います。

(ここで首を休め休憩を入れました。少しずつ続けて書ける量が減っていく…脳疲労やら眼精疲労やらもあるので)

経済的自立についての記事で「自立」って他にも見方を変えたり、意味合いは沢山あるはずだと書いて終わりました。
例えば、自分で何かを選び、決断し、その結果を受け入れたり後始末したりするのが自立であるとかね。
親からは精神的に自立しているとかね。
何度か母にも言われましたし、色々聞いたり読んだりするのですが、私は経済的な自立に執着しているので結局感覚としてはどれも本当には「わからない」んです。
知識として、理屈としては「わかる」けれど。
頭の中の理解と、心や感情の理解のギャップが埋まればもっと楽に生きれるのかもしれませんが、なかなかに難しいことです。
これも"認知の歪み"なのでしょうが、「認知行動療法」はどうも性に合わないので取り組みません。
なので、私にとって「自立」といえば生涯経済的な意味であり、叶わぬ夢で苦しみ続けるかもしれませんね。

次回ですが、過去の記事でジストニアと鬱が共鳴して最悪な時期に実の父・腹違いの兄(5歳上)と絶縁した、と書いた気がするのですが…定かでは無いな、自分で書いておいて。
それはまた明日にでも書きます。

今回、あまり読み応えは無いかもしれませんが、無理はしない範囲で続けていきたいので、ご容赦くださいませ。
では、また。


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