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4の恥の感覚

明確に解釈が間違えていたことに気付いたので大半書き直した。

ハートセンターの人は自分には価値がないと根底では思っている。自分からも人からもそれを隠したい。自己イメージを作ることによって、自分に価値を感じようとする。自己イメージと自分を完全に同一化すること(=偽のアイデンティティを持つこと)で、自分には価値がないという感覚から逃れようとする。それが恥を避けるということ。

たぶんだけど、ハートセンターの人は自分のタイプが完全に分かるまでは、自分が偽のアイデンティティを持っていることに気づかないんじゃないだろうか。これはそれほどまでに完全に自分のアイデンティティ、自己だと認識しているもの。自己暗示ってやつ。完全に同一化してて、そうすることでそれが自己肯定になっているから、自己イメージが「自分が作り出した幻想」だと言われるのはかなりしんどいんじゃないだろうか。僕は死ぬほどしんどい。
この、偽のアイデンティティを持っていないとハートセンターだとは言えないと思う。本当の自分が自己イメージだと思い込むことで恥を回避するからだ。感情が起点だとか、心で行動するという表層だけを見ると浅い解釈になる。

2:自己イメージを外の他者に呈示することで、
3:自己イメージを内の自己と外の他者両方に呈示することで、
4:自己イメージを内の自分に呈示することで、
それぞれ恥の感覚を避けようとする

2はエネルギーや関心が外に向かう。人の役に立ち、人から求められることによって価値を感じようとする。
3はエネルギーや関心が両側に向かう。何かを達成することで外からの良い評価や承認があると供に、自分に対して自分は価値があると説得することによって価値を感じようとする。
4はエネルギーや関心が内側に向かう。自分に影響を与えた過去の経験を辿り、何らかの意味を持たせることによって、ストーリーを作る。それが「否定的なアイデンティティを持つ自分」になる。その自分を救ってもらうことによって価値を感じようとする(=他者から救われる自分には価値がある)

エニアタイプ3が理想像と一致する自己の部分に同一化するのに対し、タイプ4の人は理想像に合致しない心的部分に同一化し、得られないものを得ようと常にもがいている。

「性格と神経症: エニアグラムによる統合」ナランホ

自分の良い面を自己イメージにするのが3なら、自分のダメな面を自己イメージとするのが4。

ハートセンターの人の統合はこの偽のアイデンティティがなくても自分に価値があると思えることになる。偽のアイデンティティが必要でなくなる状態=素の自分に価値を感じられる状態、に持っていかなきゃならない。こう考えると統合ってかなり難しい。

修正前の記事には理想のイメージがあると書いたが、それもある。要するに下記のような感じ。

①欠落がない自分=実際の自分
②欠落がある自分=理想の自己イメージ(基本的には同一化)
③もっとマシな自分=理想のイメージ2

4は現実逃避のため、理想の自己を空想すると云われる。現実で自分の欠点に焦点を当てるため、逃避行せねばやっていられない、という感じか。この時に空想する自己は③。間違っても②ではない。
ありのままの自分を②だと思い込み、自分は何者なのか?を探すが、それが見つからないのが通常の4か。空想の中で自己探求に必死になる。引きこもって自分の中で探すと、この探している本当の自分が見つからない。そして、欠落感のある自己イメージを手放した状態が健全度1。欠落感がある自分を演出しなくても済むようになる(=救済者を求める必要がなくなる)という訳だ。
欠落感がないと自分が自分ではなくなるような感覚がある。人生の大きな選択も、欠落感があり、人とは違う自分だからこそできたものだと思っていた。むしろそこに誇りを感じていた。欠落感がない自分が本当なら、あの過去の選択は何だったんだろうという絶望感がある。同一化していないと今は自分を正当化、自己肯定できない。ハートセンターなんだからそりゃそうか。

また、ハートセンターの恥の感覚は自分の存在、自分自身に意識が向くことで生じるもの。自己イメージに合わない場合や自己イメージと違うことを自覚した時に自分の存在に恥を感じる。過去に実際に行ったことに対しての恥というか、後悔はどのタイプにもあると思うが、それとは区別した方が良いのかもしれない。
下記のサイトでは9が飄々として見える理由として、恥の感覚がないことが挙げられているが、過去の体験に関しての恥はあるようだ。

タイプ9は、自分の存在を恥と感じにくいタイプに分類できるようです。

もちろん、タイプ9にも恥の感覚はあります。

だたし、それは自分の存在についてよりも、実際にやったことや後悔していることなど、どちらかというと、「具体的な何か」に感じるほうが多いようです。

「【タイプ9】が、ひょうひょうとして見えるわけ」
エニアグラムLIFE.

9は素の自分の無価値感と自己イメージとの狭間で悩んだりしないんだろう。そう考えることが自分自身に意識が向くことになるからだ。それは葛藤を生む要因になるので避ける。自然体だからペルソナもなさそうだ。悩みのベクトルが全く違いそうである。
僕は体験による恥もそれなりにある気はするけど、人と比べて多い方なのかどうかまではよく分からない。冠婚葬祭や社会生活でマナーに反した行為は恥ずかしいことだとは思う。でも自分らしく学校の校則違反や交通違反などのマナーに反すれば、恥を感じつつも、特別感を感じていたかもしれない。若気の至り。

参考
「エニアグラム-あなたを知る9つのタイプ 基礎編」ドン・リチャード リソ&ラス ハドソン
「性格と神経症: エニアグラムによる統合」ナランホ


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