見出し画像

囚われは本当に無意識にあるのか?

理論的には4は「平凡を避ける」という囚われを持つが、これは無意識下の欲求である。潜在意識で避けているだけなので、意識上で人と違うものが良いという理由から何かを選択するわけではない。普通や平凡が嫌だとか避けているとは意識上では思っておらず、4の認識としては「自分に適合している」「自分の心に響く」「自分の気持ちに率直なもの」だから選んでいるだけという理屈である。

でもエニアグラムを知る前から欲求を意識上に明確に認識していた人もいるのではないか?

自分の場合は平凡を避けていたとは思っていなかったが、主流は大抵自分の心に響かないとは思っていた。人とと違うものを選んでいることは特に感性が反映される分野で多く、人と音楽や映画の趣味、興味のある話題が合わなくて悲しいとも思っていた。自分としては心に響くものを探し回っていただけだったし、他の人は自分の「好き」や「らしさ」を追求できていないだけであり、畑違いなだけなんだろうとも思っていた。
でも至る所で自分は人とは違うと認識させられることが多かった。なぜ自分だけ違うんだろう?どうすれば人と同じになれるんだろうか?他の人も良いと思っているものと同じ感性を持てるんだろう?と思っていた。感性に劣等感があった。周囲の人間が良いと思ってるものを良いと思えなくて悲しかったが、同時に優越感もあったと思う。自分にしか分からない音楽もあるのだと。周囲が良いと思えるものを自分は分からない、そういう気持ちは強かった。だから必死に自分の感性を周りに合わせようともしていた。でも合わせるのは苦行だった。
そんなこんなで囚われ「平凡を避ける」というのは意識上には隅っこの方にだけど、あったと思う。何か違うものを選んでしまうという中二病的な部分が自分にはあると自覚はしていた。でも誰にでもそういう部分はあるものだとも思っていた。
だから、「人と違うことをしたい」「平凡を避けたい」と言葉にしている人がいてもそれだけでは4ではないとはどうしても思えない。無意識下の欲求に何らかのきっかけで気づき、表面化するとそう言葉にする4もいるのではないだろうかと考えるからだ。ただ、自分の一番の欲求を安易には語らないとも思うし、自分が「人と違うことをしたい」「平凡を避けたい」と誰かに向けて発するかどうかを考えると、やはりそういう言葉を放つことは4では考えにくいのではとも思う。自分の感覚としてはやっぱり平凡を避けて、職業や学校選びなど、人生における主要な選択をしてきたわけではないからだ。なかなかタイプの見極めは難しい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?