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4の本質とは

まずはこの記事。
ここの記事を去年初めて読んだ時には内容に全くピンと来なかったが、恥の感覚を理解してから読むと驚くほど内容がすらすらと頭に入ってくる。感覚が解る。

恐れ:アイデンティティや個人としての存在意義をもっていないこと
欲求:自分自身でありたい

4が個性を求めるのはなぜなのか?確かに4にとっての個性とは手段であり、求める結果ではない。それでは何のために求めるのか?
この記事には自己認識が希薄とあるが、実存の欠如という呼び方もできる。4は自分の存在をこの世で意識する感覚が過度に欠けている。だから自分の存在を確信できる理由を求める。自分が自分として今ここに在ること、そのための理由が必要というわけだ。理由がないと存在できない。その理由が偽りのない本当の自分自身として見られることや自身の感情になる。それらを通して自分が存在していることを逐一確かめる必要がある。

4にとっての個性とは「自分を装飾する何か」だと思っている。自分らしいという感覚を軸に自分らしさは形成される。自分らしさを表す何かで自分を飾り、自分という存在を過度に表現する。そうすることで唯一無二の存在、もとい本当の自分自身であると見られたい。(4は本当の自分=替えの利かないオリジナルな存在だと幼少期から確信している。否定的な自己イメージを持つことで「自分は人とは違う」という自己暗示がある)そう見られることでやっと自分の存在を正当化できる。自分が在ると思えるのだ。そうしないと自分の存在が不確かなものに思え、不安なのだ。
また、自分の感情が在ることで得られる存在の確信もある。デカルトは「我思う、ゆえに我あり」と残したが、4は「我感じる、ゆえに我あり」と言ったところ。だから今ある瞬間の感情を確認せずにはいられない。それは自分の存在を感じるための一手段だからである。

ということで、4の本質は個性ではなく、存在である。個性はただの手段であり、本当に渇望してるのは自分の存在確信。自分の存在には理由が必要で、その理由に値するものが個性や自身の感情になる。

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