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構造主義と神話論理Iを読み終えて

先日、クロード・レヴィ=ストロースの「神話論理I 生のものと火を通したもの」を読み終えたのでこの気持ちを忘れないうちに記事を書きました。

この神話論理は全4巻、4巻目が2冊あるので全5冊からなり、1冊あたり約500ページ(ハリーポッター1冊と同じぐらい)、約2,000ページからなる大著です。

クロード・レヴィ=ストロースは構造主義を世界に広めた人物であり、日本では1980年代にニューアカブームとして流行し、現代では構造主義を巷で聞くことはなくなりました。

一般的に構造主義がもたらしたのは、相対主義です。西洋哲学の絶対的な真理に対して、伝統社会の思考が科学的思考に劣るわけでは無く、お互い思考のバリエーションのひとつであることを説明し、批判しました。現代の多様性の考えにも繋がる、自文化は絶対的ではなく、相対的であることが広まりました。

相対的な考え方に至ったのは、伝統的社会を構造主義で分析した結果でもあります。
まず構造とは「要素と要素の関係から成り、要素を入れ替えても成り立つ関係」が構造です。

伝統的社会の分析も複数の部族の文化を調査(文献含む)し、比較してもなお成り立つ関係を発見、構造として抽出します。
構造を抽出過程が相対的にみることを土台としており、相対主義が色濃くなる面でもあります。
一方で項目に何が当てはまるのかも、構造主義の興味ごとです。一般的に恣意的で何でも当てはまると思われがちですが、項目にハマるためには構造を維持される必要があり、構造に当てはまるなら何でも良いが、構造を維持できないなら当てはまらないとなります。
極端な例を挙げると、ジャンケンは✊✌️✋ですが、✊✊✊では区別も勝敗もつかず関係が成り立ちません。

構造主義が相対主義であり世の中は構造で出来ていることを広めましたが、要素の恣意性については浅い理解で止まっているのではと思います。

神話論理は、神話を通して要素の恣意性が如何に形成され、また人の潜在的な思考との結びつきを探るという大航海とも言える知の巨人による思考の旅を記したものです。

一般人の私は長い船旅の一部を船酔いと迷走をしながら読み進めることになります。
ビジネス書にあるような原因と結果を端的に説明されることはなく、レヴィ=ストロースが綴る文字と翻訳者のガイドにより船に揺られるような進みます。

神話の背後には自然/文化の対立が隠されているのである。

生のものと火を通したもの P.195
クロード・レヴィ=ストロース 

普段、仕事をしながらでは触れることができない神話の数々かな隠れている対立を覗くことができます。

味覚(…)、触覚(…)、触覚(…)など、いくつものコードを使っている。

生のものと火を通したもの P.236
クロード・レヴィ=ストロース

私たちが獲得している概念が知覚を通して形成されていることを僅かながらに垣間見えます。

神話の真理はただひとつの特権的内容にあるのではない。内容を欠いた論理的関係にある。

生のものと火を通したもの P.339
クロード・レヴィ=ストロース

神話の真理が欠いたところにあると私の心を惑わせたりします。

神話論理は同じことを説明しているようで、何か結論に近づいているようで、単一の結論が明確にならないものです。タイパと真逆をいっています。全5冊でまだ5分の1なので恐ろしいですね。(先の見えなさと、執筆に充てたれた労力の膨大さに)

レヴィ=ストロースはこの終着を別の本で書いていますが、本当に辿り着くかは不明です。(私が勝手に遭難しているだけでしょう)

神話が人間に与える重要なものがあります。自分が宇宙を理解できるといる幻想、宇宙を理解しているという幻想です。

神話と意味 クロード・レヴィ=ストロース

もしこの船旅に興味が湧いた方も、いきなり乗り出すのは難しいかもしれないので、先輩方の記録や事前知識を入れておくといいかもしれません。(way_findingさんの記事が無ければ即座礁してました。)

とはいえ、一度寄港し、第二巻を読むのはしばらく先になりそうです。

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