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SNSの幻覚を見ていた

 辛いね。苦しいねぇ。
 なんでSNSやってんの?他人を見たいから?自分を見せたいから?そりゃあ自分を見せたいから!絶えない自己顕示、尽きない承認欲求。

その1

 更新更新更新。今日もTwitterのタイムラインには仲良しの流れ。くだらない戯れ、どうでもいい情報交換、ツイッターで打ち合わせて現実で大集合。

 フォローバックって見返りとして期待するものではないんだよな。分かってる。でもタイムラインに集っている君らがこっちを見ないなら楽しいわけないじゃないか!

 正直君らくだらないです。
「珍しい風景」あーそれ全然珍しくないよ。
「新しい知識」あーそれ逆に知らないんだ。
「素晴らしい成果」あーあんなにイキってその程度(笑)。今日も虚無なツイートありがとう、タイムラインのみなさん!

 きょうは、クイズばんぐみを見た。げいのう人がぼくでもわかるクイズをまちがえていて、なんでこんな人たちが出えんしているのだろうと思った。ぼくのほうがかしこくて、もの知りだから、ぼくが出えんしたほうが、てきにんだと思った。

 そうは言っても結局、面白くて賑やかで悔しい。みんなたくさんのフォロワーに囲まれて、たくさんのいいねやリツイートをもらって、注目されて。そして、君もその中にいる。ずっとインターネットのすみっこで、指をくわえて君の界隈を眺めてる僕を置いて。子供の頃から自分を見てほしかった。勉強ができた子だったので、小学校では注目を浴びた。それが気持ちよかった。他人を出し抜いて、優位に立ち、見せびらかす。それをこんな年まで引きずってる。

 羨ましいな。インターネットで注目されて、みんな君のツイートに関して言及する。リアルでも集まって界隈を形成する。いいな、いいな~~~

ツイ廃じゃん。リツイート500、1000、5000、フォロワー500、1000、5000、普通にTwitterやってれば目に飛び込んできちゃうよね~。

羨ましい

「Twitterは●●です。」「●●ね~見たことある!」
「エンカしました!」→みんなのスマホで集合写真

羨ましい!

 あ~羨ましい!知り合いどうしTwitterで絡んで、あるいはTwitterで絡んでいた者どうし知り合いになって、面白い言及、深い発想、あんな発言こんな発言、知り合いたちの外側にもその楽しいやり取りを見せつけてくる奴らが、羨ましい!

 なんで羨ましい?ってそりゃそうだろう!だってフォロワー何百何千、ツイートはいいね何十何百、互いにリプライし合ってリアルでも繋がりながら、「界隈」の外にも注目されて。僕にも注目を分けてくれないか!

「SNS廃人」「時間の無駄」
「ネットの中では人気者(笑)」

羨ましい?

 僕の垢は@●●_●●●です。よろしく。

その2

 更新更新更新。次の瞬間には僕に注目が回ってくるかも。いいね、リツイート、フォローの通知がやってきて、たちまち人気に。そんな物語を待ち焦がれても、通知は増えない。時間は消える。スマホは手から離れない!

 僕ができること、僕が好きなもの。①____、②____、③____、どうですか、どれもできる人、どれも好きな人はいますか。珍しいでしょう、僕は尖っていますよ、尖っている僕を見てくれないか!

 人間関係の中での注目は多分、頑張って勝ち取るようなものではなくて、自然と沸き起こってくる雰囲気なんだ。実力比べでもなければ特殊性比べでもない。それをはき違えているから自分の他人との差異を強調して、他人と話を合わせられない。特殊な人ですね。

あっどうも……インターネットの○○さんですよね?見てました……あっあっ
私はインターネットでは○○っていう名前で……あっ見たことあります?あっあっそうですかデュフフあっよろしくお願いします~……

 あの人たちの輪に入りたい。輪に入れば注目されそうだから入りたい。僕と仲の良い君も入っているから入りたい。君のコネを利用したい。友達だろ?僕にも良い思いをさせてくれよ!
 でも入れない。入ろうとしては結局「なんで部外者なのに割り込もうとしたんだんだろう。皆さんこんなキモい自分が入ってきて申し訳ないねぇ。」と後悔する。分かってるなら最初から割り込もうとしなければどうだ?

 はっきり言って自分、キモいですよね。他人のことは興味ないくせに自分のことばっかり大好きで注目を欲している感じ。
「そのキモいって言ってみてるのも自己陶酔ですよね?」
「もちろんじゃないですか(笑)自分が大好きって言ったでしょう。」

 でも君のことは見ているよ。僕が勝ち取れなかった注目を、インターネットの向こうの界隈の中でたっぷりと受け取ってるくせに、そんなもの意に介さない君のこと。

「君めっちゃ人気者じゃんw なんで?」

君が羨ましいねぇ

「さあ……むしろこんなに注目されても困るんだが汗」

はぁ。困るなら垢消せば?

 あ~羨ましい!君は実力、時勢、環境に恵まれて、豊かな人付き合いをして、それで十分な人間関係を築いているのに、インターネットでも持て余すほどの注目まで受け取っちゃう。少なくとも僕にはそう見えて。本当は君も思い悩むことがあるかもしれない。そんなの知るか、羨ましい!

 なんで羨ましい?ってそりゃそうだろう!だって僕はこの期に及んで注目を欲している。身近な人間関係すらも大事に出来ないで、インターネットの向こう側に見える人気者ばかり見て勝手に憧れているんだ!

大切な友よ、あなたのことを無視して、名声ばかり気にかけている私を赦しておくれ。

っていう自分への、陶酔?

 そうは言っても、私に、注目を分けてください。

その2.5

 Twitterを始めたのは多分中学2年。何がしたかったのか僕にもよく分からない。どうせ僕のことだから情報収集とか言って始めて。SNS依存なんかは高みの見物のつもりだったんだろうな。今にはこんなに溺れてしまってよ。

 僕はTwitterのアカウントをいくつか持っている。
・中高の時から親しい人たちとFFになって、今もそれなりの頻度で呟いている個人用アカウント。昔は鍵。
・「高校デビュー」を称して作ったが、当たり障りのないことしか呟かず、自然に消えた公開アカウント。
・「大学デビュー」を称して作ったが、当たり障りのないことしか呟かず、自然に消えた公開アカウント。
・趣味①のアカウント。
・趣味②のアカウント。
・サークル用鍵アカウント。

 高校の時も大学の時も、当たり障りのない発言ばかりの公開アカウントを作ってFFを増やして人気者になろうとした。個人用アカウントではオタクしぐさをして、公開アカウントでは「常人ぶって」いる自分が好きだった。「公開アカウントは常人っぽいけど中身はオタク」みたいな落差に憧れて、それを装った。他人にそこまでめちゃくちゃに興味はないけど一応フォローした。まあ100人台くらいのFFができた。個人用アカウントとしては普通によくありそうな数字ですわな。

 100人のFFを前に有名人気分だ。みんな僕を見ている、そう思いたい。だんだん公開アカウントで話す内容についてあれこれと考えるようになってしまった。「アカウントの雰囲気からしてこの話を突然出すのは微妙」「趣味は別のアカウントでいい」「アカウントを分けたいから自分の情報は複数のアカウントで呟かない」とか、過剰な自意識を抱えて窮屈なインターネットライフだ。

 誰も見てないよ。
 何かおかしいよ。

その3

 発信発信発信。キモい僕も君の界隈の中に入りたいよ。タイムラインの流れに掉さす空リプ。……は、流されて、その気持ち悪い残り滓をツイ消しだ。

君との出会いは、あの夜空の下で。それできっと、分かり合えるよな。

 いや違うな。もっと前に僕は君を見かけていた。そうだ、あれもインターネットだった。僕が一方的に認知していたんだ。いつか、偶然居合わせた時、インターネットで見かけた人だと思って声をかけたことがあった。たしか「インターネットで見てます」って。君は軽く会釈して去っていった。ああ、奇行も奇行、逆に知らない人間に見てると言われた時の気持ち悪さを考えてほしい。いや、もしや君はそんなに気にしてない?分からない、分からないや。

 もう考え疲れたんだ、僕にはインターネットは早かった。サークルの友人や先輩後輩と繋がったTwitterの鍵アカウントにこもる。小さい内輪で顔見知りばかり、だいたい呟けば誰かが見て、共通の話題で盛り上がっている。僕へのいいねの数もコンスタントに推移しているけど、そんな数量どうでもいい。

 どうでもいいんだ。ただ仲間と話したいだけ。違うか?

 そうだ。みんなそうだろう。君も有名人と言っても一人の人間だ。インターネットの向こうの知らない人に愛想を振りまく道理はないし、僕と同じように仲の良い友達と一緒にいたいだけなんだ。
 そうだ。あの界隈の人々も一人一人の人間の集まりで、友達が何人だとか、発言がどれだけ見られたとか、そんなカウントはどうでもいい。
 規模なんて本当にどうでもいいんだ。本当に。界隈がなんだ、ツイート数がなんだ。影響力を求めるならもっとその上がいる。インフルエンサーになりたいのか?僕が本当に求めていたのはそうじゃないはずだ。違うか?

SNSでの「いいね」依存症。原因は?抜け出すには?

僕はもう分かっている、違うか?

 あ~煩わしい!あの「界隈」に入って「注目」を受けるなんて僕の過大評価の妄想だ!あの人々だって、あるのはそんなひとまとまりの何かじゃなくて、それぞれの「個」がいて、そこに仲のいい友人一人一人がいて、その関係の中で生きているだけだった。

 なんで煩わしい?ってそりゃそうだろう!注目なんてものに囚われて。羨ましがってたあのインターネットの向こうの「界隈」の本質も、ローカルな友達集団。いいねの数なんて非本質だ!そして、みんなきっとそれを解ってインターネットに生きているんだ。

 僕だって大切な友人がいて、日々過ごしている。ここにいるのはもともと僕と、君たち一人一人だった。それでいいはずだった。そんな友達集団のちょっと大きいのが、インターネットの向こうにも見えていた。それだけのことなんだ。
 インターネットの向こう側にわざわざ干渉しなくていい。注目なんて本質じゃないんだ。

「常にそんなことばかり考えて人付き合いをしていたんですか」

自分でも変だと思うよ。

 僕は、何を見ていたんだ?

「常にそんなことばかり考えてTwitterをしていたんですか」

でもそんな夜もあるんだよ。

 SNSの幻覚を見ていた。

 (終)

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