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【比較】芥川龍之介「芋粥」 宇治拾遺物語との違い(巻第1-18「利仁署預ノ事」)

芥川龍之介「芋粥」は、今昔物語や宇治拾遺物語に載っている話を題材にした作品です。
宇治拾遺物語 巻第1-18「利仁署預ノ事」と比較しました。


1、共通する登場人物、ストーリー紹介

それではまず、共通のあらすじをざっとご紹介します。

①登場人物
どちらも五位と利仁という2人の人物が出てきます。二人は摂政藤原基経に仕えていて、利仁は藤原時長の子の武士です。

②ストーリー
大饗(大臣に任じられた時、正月の初に諸大臣以下殿上人を招いて饗応する行事)が終わったのち、給仕した者たちで残り物を食べていました。その中にいた五位が「芋粥を飽きる程食べたい」と言うと、利仁が「飽きさせて差し上げたい」と言います。数日後、利仁が五位を湯あみに誘い2人は出かけますが、行っても行っても目的地に辿りつきません。五位がどこに行くのかと尋ねると利仁は敦賀(福井県)へと言います。利仁は道中で狐を捕まえ「今宵のうちに利仁の家に行って『客人を連れていくから明日迎えに参れ』と言え」と遣いに出しました。朝になると家から迎えがきて、不思議な出来事があったと言います。利仁の妻が「私は狐だ」と言って話しだしたそうです。利仁の家に連れてこられた五位は、翌朝大量の芋粥を用意してもらいますが、すぐにお腹いっぱいになりました。近くに遣いに出された狐もいたので、利仁は狐にも芋粥を食べさせました。

2、宇治拾遺物語

2-1五位と利仁の人物像

特に見た目の描写などから見ていきます。

◆五位
五位は給仕していたものの中では古参の人物です。

普段の様子は書かれていませんが、五位が利仁に誘われて湯あみに出た時の服装が書かれているので紹介します。

うすわたのきぬ二つ、裾の破れた青鈍色の指貫、同じ色で肩が少し落ちた狩衣、下袴ははかず、鼻は高いが先は赤く、鼻水をぬぐっていない。狩衣の後ろは帯にひきゆがめられたまま整えないのはたいそうみっともない。と書かれています。

鼻水をぬぐわなかったり、狩衣の後ろがひきゆがんでそのままにしているところなどから、細かいことはあまり気にしない人物に思えます。普段の生活でもこのような姿だったのでは?と想像できました。

◆利仁
見た目等の描写はありませんでした。

2-2ストーリーからみる五位と利仁の関係性

次は物語内の出来事や対話を通じて五位と利仁の関係を見ていきます。
宇治拾遺物語の2人は、軽い言葉のやり取りが出来る関係に見えました。

〈利仁→五位の関係〉
五位とはお互いに丁寧な言葉を使っています。上下関係はなく対等に感じられました。

利仁は、五位とのやりとりから茶目っ気のある人物だと私は感じました。

利仁は五位に芋粥をごちそうするために敦賀に向かうとき「湯に行こう」とだけ言って五位を誘い出します。そしてなかなか目的地を告げないまま進みます。わざと行き先を告げない悪戯心があるようです。

次に狐を来客を告げる使いとして遣ったのが成功したと知ったときの利仁の様子、「うちゑみて、五位にみあはすれば」というのは、ちょっとした悪戯が成功したように五位と目を見合わせている感じがします。

遠い敦賀まで行くことを伏せ近くの湯に行くと見せかけて連れ出したり、狐を使いにしたりするのを利仁は面白がっている感じがしました。

個人的な解釈ですが、宇治拾遺物語の五位は、「芋粥に飽きたい」が積年の望みだとは書かれていないため、大饗後の「芋粥に飽きたい」も、その場でさらっと口にした何気ない一言だったのかもしれません。それを利仁が面白がって本当に食べさせようとしたのではないかとも思いました。

〈利仁は五位をあざけり笑ったのか?〉
利仁が一か所「あざわらふ」ところがあります。利仁は五位をあざけり笑ったのかを考えてみます。

該当箇所を紹介します。

五位は利仁に湯に誘われ、芋粥を食べに行くとは知らずについて行きます。敦賀まで行くと知ったとき、五位は「京都でそうとおっしゃったなら下人などを連れてきたのに」と言います。ここで利仁は「あざわらひて、「とし仁ひとり侍らば千人とおぼせ」」と言います。「あざわらふ」の意味を調べると、あざけりわらう/大声で笑うの二つの意味がありました。もし利仁が五位に目的地を告げずにつれ出して芋粥を食べさせることを面白がっていると捉えると、見下しの入らない「大声で笑う」の意味でとれるのではと思いました。

〈五位→利仁の関係〉
五位は利仁との会話では自分の思ったことを素直に言っているように感じられました。

本当の行き先が敦賀だと知ったとき、「物ぐるほしうおはしける」(正気ではない。ばかげている)と言います。

五位は利仁が狐を使いに遣ったとき「すさまじい使いだな」と言い、**翌朝30騎ほどの一団が来るのを見て「下男らが来た」と言った利仁に対して、五位は「あてにならぬ事だな」と言って疑うような発言をしました。その一団は近づいて見ると本当に下男たちでした。

また利仁の舅に対しても同様です。

敦賀の家に着き舅に紹介されると、舅は「なんでもないものに飽きなさったことがないんですね」と軽口を言う。五位はそれに対して「東山に湯を沸かしたと言って人をだまし連れ出して、こうおっしゃるのです」と軽口を言います。

〈まとめ〉
宇治拾遺物語の利仁は茶目っ気のある人物で五位に芋粥を食べさせることを面白がっており、五位は服装からも見て取れるように細かいことは気にせず思ったことを素直に言っているように見えました。二人はお互い丁寧な言葉遣いですが、それほど堅苦しくない関係だと感じました。

2-3まとめ方の違い

偉くなったような待遇を受ける五位
宇治拾遺の結末は、「給仕の者(窮者)でもその地位について長年になって評価されたものの中には、たまたまそんな優遇を受けるものもいる。」というものです。これは五位の事を言っています。

これに関連して芥川の方にない内容が宇治拾遺にはあります。

五位が大量に用意された芋粥を少ししか食べなかったあとのことです。芋粥を用意した人たちはたいそう笑って集まって「お客様のおかげで芋粥が食べられます」と言い合った。とあります。

また、五位はその後一か月間敦賀の家でもてなしをうけ、たくさんの贈り物をもらって京に帰ります。

五位のおかげで他の者が芋粥を食べられるというのは、まるで五位が偉くなったかのようですね。長年五位は大饗で給仕をし、残り物を食べていました。今度は自分がもてなされることで残った芋粥を皆が食べられる状況となり、逆の立場を経験します。

宇治拾遺物語の結末は、五位が優遇をうけるという幸福な結末でした。

3、芥川龍之介「芋粥」

3-1五位と利仁の人物像

◆五位
どんな人物として描かれているかというと、

背が低く、赤鼻で目尻が下がっている。口ひげが薄い。頬がこけていて顎が人並外れて細く見える。40歳以上。

色の褪めた水干、なえなえした烏帽子で同じような役目を飽きずに毎日繰り返している。猫背。下袴は履いていない。みすぼらしい姿。だらしなく草履を引きずりながら、もの欲しそうに左右を眺め眺め、きざみ足に歩く。

周りは彼に注意を払わず冷淡。相手にしない。手真似だけで指図し、伝わらなかったら五位のせいにする。通りがかりの物売りにも馬鹿にされている。

五位は腹を立てない。不正を不正と感じないほど、意気地のない臆病な人間で、いたずらにも無痛覚。

そして5、6年前から芋粥に異常な執着を持っています。「芋粥を飽きる程のんでみたい」ということが、彼の唯一の欲望になっていて、そのために生きているといっても差し支えないほどです。

◆利仁

肩幅の広い、身長の群を抜いた逞しい大男

錆のある鷹揚な武人らしい声を持つ。

この朔北の野人は、生活の方法を二つしか心得てゐない。一つは酒を飲む事で、他の一つは笑ふ事である。

宇治拾遺と比べて芥川の五位は、みすぼらしさや周りから軽蔑されることなどが強調して描かれています。対照的に利仁は肩幅の広い逞しい大男として描かれています。五位と利仁の人物像の違いが見た目からもはっきりとわかるようになっていました。

3-2 ストーリーからみる五位と利仁の関係性

悪戯心を持つ利仁と利仁を尊敬する五位

〈利仁→五位について〉
五位に対しておなじく言葉自体は丁寧ですが、嘲笑や軽蔑、憐憫が混じることがあります。五位と初めて話す場面、「(利仁は)軽蔑と憐憫とを一つにしたやうな声で、」話しかけます。

2人の関係は対等ではなく利仁が上の関係に見えます。

他にも利仁の登場場面を見ていきます。

利仁は、2人で出かけた後どこに行くのかと聞く五位に対して、微笑を含みながら「もっと先でござる」と告げます。その微笑は、「悪戯をして、それを見つけられさうになつた子供が、年長者に向つてするやうな微笑である。」と書かれています。

また芋粥を食べさせるときは「遠慮は御無用ぢや」と意地悪く笑います。「微笑」の影響か「意地悪く」でも悪戯っ子のような感じを私は受けました。他には狐の遣いが成功したと知って「利仁は五位を見て、得意らしく云つた」ともあります。こういった部分は宇治拾遺の利仁像とも似ています。

次に宇治拾遺とも共通する内容の利仁のセリフ「利仁が一人居るのは、千人ともお思ひなされ」ですが、少し雰囲気が違います。

宇治では二人の軽いやり取りに感じられましたが、芥川の方では五位は盗賊などを恐れておびえています。利仁は五位が狼狽するのを見ると、眉をしかめながら嘲笑い、弓とやなぐい(矢を入れて背負う道具)を手にします。「眉をしかめながらあざわらい」は少し軽蔑する意味も入っていそうです。また芥川の利仁は肩幅の広い大男なので武力の面で「千人力」を示しているように見えます。

〈五位→利仁について〉
2人の関係は対等ではなく利仁が上の関係に見えるとお話ししましたが、それは一方的に利仁が見下しているのではなく、五位も利仁を上に見ているような箇所があります。

五位は、ナイイヴな尊敬と讃嘆とを洩らしながら、この狐さへ頤使する野育ちの武人の顔を、今更のやうに、仰いで見た。自分と利仁との間に、どれ程の懸隔があるか、そんな事は、考へる暇がない。唯、利仁の意志に、支配される範囲が広いだけに、その意志の中に包容される自分の意志も、それだけ自由が利くやうになつた事を、心強く感じるだけである。――

五位も尊敬を持って利仁を見ているようです。また、利仁の側にいると自分の意思もそれだけ自由が利くようになったというように、京都にいたときより自然体でいるように感じられました。

狐の遣いが成功したことを得意らしく言った利仁に対して、「何とも驚き入る外は、ござらぬのう」と言った「五位は、赤鼻を掻きながら、ちよいと、頭を下げて、それから、わざとらしく、呆れたやうに、口を開いて見せた。」これは少しおどけた仕草に見えます。

〈まとめ〉
芥川の方では利仁は五位を軽蔑するような笑いや仕草をする時もありますが、五位と敦賀に向かったところからは、悪戯心を持った人物に感じられました。対して五位も利仁を尊敬の思いで見る箇所もあり、宇治拾遺の関係とは違いますが、芥川の二人の関係も悪い関係ではなさそうです。

3-3まとめ方の違い

みじめに見えて幸福だった五位
芥川の結末は「芋粥に飽きたいという願いを持っていた五位は幸福だった。」と私は捉えました。

芥川の方では敦賀でもうすぐ芋粥を食べられるとなったときの五位の心境が細かく描かれています。どういった内容かというと、

・五位は着いた館でここまでの道を思い返し、あたたかいところで京都とは雲泥の差の待遇を受けているのに「何となく釣合のとれない不安」がある。
・時間が経つのが待ち遠しい気持ちと、芋粥を食べるときがそう早く来てはならないような心持ちが同時にある。
・何年となく辛抱して待っていたのが無駄な骨折りのよう。
・山芋が粥にされているところを見て、ここまでわざわざ来たことなど、すべてが情けなく感じる。

こういった内容です。

自分が何か努力した結果ではなく、突然夢がかない目標をうしなってしまう喪失感があるのでしょうか。

そして芋粥を食べたあとの五位は、「芋粥に飽きたい」と欲を持っていた来る前の彼自身を懐かしく思いました。

京都では孤独でみじめで愚弄されていた五位でしたが、芋粥に飽きたいという生きる希望のような願いを持っていた彼は幸福でした。

4、全体まとめ

「芋粥」について、宇治拾遺物語と芥川龍之介の作品を比較しました。比較した内容は、登場人物の性格や関係性、ストーリーです。

宇治拾遺物語の五位は身なりを気にしない古参の人物であり、利仁はその言動から茶目っ気のある人物と考えられました。そして二人は言葉遣いは丁寧ですが、お互いに軽いやり取りをする関係性がありました。五位は最終的に贈り物をたくさんもらい、優遇を受けたという幸福な結末でした。

一方、芥川の五位は性格が異なり臆病でみすぼらしい様子が強調され、周りから軽蔑されていました。利仁は逞しい大男で、悪戯心を持つようでした。この二人はお互い言葉遣いは丁寧でしたが、利仁が上の関係に見えましたが、五位も利仁を尊敬の念を持って見ていたようです。

宇治拾遺物語では五位が偉くなったような待遇を受け、長年のつとめが報われる一方、芥川の作品では五位の願いが達成されることに対する複雑な感情が描かれていました。

二つの作品は同じ題材ですが、テーマや雰囲気が異なり受ける印象もかなり違いました。テーマの違いだけでなく、2人の関係性の違い、描かれ方の違いも楽しむことができて比較も楽しかったです。

(参照)
・中島悦次校注『宇治拾遺物語』(角川ソフィア文庫)
・青空文庫 芥川龍之介「芋粥」 https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/55_14824.html

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