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言葉に対しての感情の裏側にある本質について考えてみた

 今回書く記事はあくまでも僕の考えている事です。一つの意見としてみてもらえたらありがたいです。最近僕の記事でいわゆる転売屋について書いてきましたが、この転売についてあんまりいい印象を持たない感情の裏側について僕なりに考えてみました。

 ネットで見て考えてしまった事は、職人さんや生産者さんの販売している物は、値切ってはいけないが、お店(商人)は値切ってもよい・・・このような事が書かれていました。

 ほかにも生産者さんや職人を大切にしたい・・・等々も見かけます。

 もちろん生産者さんや職人さんを大切にしたいという気持ちはよくわかります。でも僕が引っかかるのは、お店(商人)はどうでもよいという風に聞こえるのです。

 おそらくこの考え方の背景には、職人さんや生産者さんは、一生懸命に生産しているのに、お店(商人)はそれを仕入れて売っているだけではないか?・・・つまり苦労せずに利益をだしているだけではないか?という感情があるように僕には見えます。

 その感情のさらに裏側にあるのは、いま歴史で習うかどうかわかりませんし、歴史的事実かどうかもわかりませんが、僕自身は学校の歴史の授業でまなびましたが、江戸時代にあった身分制度?の考え方の影響があると思っています。

 僕が歴史の授業で学んだ事が正しいとすれば、商人の身分は職人等よりも低かったはずです。そこから転売(商売)をする人に対して簡単に儲けやがってという無意識に感じているのではないか?という風に見えます。

 僕がなぜそういう風に見えるのかというと、僕の親族は商売をしている人が沢山います。そしてその商売をしている親族たちは、一生懸命働いているし苦労も沢山しています。実際に休みなく働いている事もよくありました。僕はそんな姿を見ているので、なぜ職人さんや生産者さんがある意味尊ばれて、商人さんがある意味低く見られているのが分からないのです。職人さんや生産者さんにも沢山の苦労があるのと同じ様に商人さんにも同じ様に沢山の苦労がある事に気づかないのかなと思います。

 僕にはいわゆる転売に対して複雑な感情を持つ人が多い背景には、歴史的に事実かはわかりませんが、そういった身分制度的な考え方が心の奥底にあるのではないか・・・そういう風に僕には感じてしまいます。

 読んでいただきありがとうございます。

 


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