2023年5月15日
ナァーニヤッテモウマクイカナイ。
あたくし、疲れましたわ。全てが順調とは逆の方向なのです。誰かに何かをしてほしいですわ。
今日は腹の立つことが多々あった。そのうちのいくつかはここでも言えることなので、ここで吐き出させていただく。
友人と講義を受けていた。その講義では、教員が学生に順にマイクを回して、1人一つずつ質問をする形式だった。私と友人は横に並んで座っていて、友人が壁に接する左側、私が通路に面した右側だった。当然、前から回ってきたマイクは私に先に回ってくる。なんとか質問に答えた後、友人に回す。友人もなんとか答える。次は2つ後ろの席に座っている男子学生。彼は机につっぷして寝ていた。友人は彼にマイクを渡さねばならない。そして彼は質問に答えねばならない。しかし彼は寝ている。友人は彼を起こさねばならない。教員が彼を当てる。友人は呆れたようなため息をついて、彼の元にマイクを渡しに行った。しかし、あろうことか、友人は彼を起こそうとせず、ただ傍にマイクを置いただけだった。お前が起こさなかったら誰が起こすのか。しなければならない面倒な仕事をしない?! ガキかお前は?!
当然、教員も彼が寝ていることに気づく。しかし、この教員は優しい。彼を起こさない。「まあ、寝かしておこう」「じゃあ、次の人に回して」と言った。当然、まだ席に戻り切っていなかった友人がマイクを回す役だ。次の瞬間、私は驚き、呆れ、怒った。友人はあろうことか舌打ちをしたのだ! しかも結構な音量で。教員にも、他の学生にも聞こえていたに違いない。私は教室中には聞こえない程度の声量で、しかし周囲の学生には聞こえそうな声量で、「舌打ちとかすんなよ」と言った。彼は無視した。私のこの注意は、本心でもあるが、私の、「こんなガキくさいヤツと一緒に座って講義を受けているのか」とは思われたくないぞ、という気持ちから出た無意識の反応であったと思う。
相手が寝ている学生であることを踏まえても、そしてそれを起こすというかなり面倒な仕事に対する反応であることを踏まえても、それにしてもあまりにもガキくさい反応である。私はこんなヤツと友人関係なのか? 実は最初の方で「友人」という呼称を使うことにも躊躇したくらい。まあもとよりそんなに仲がいいわけではない。私はサークルとゼミの人間関係がメインで、それ以外の学生とは同学科でもあまり関係がない。彼も同学科だがサークルもゼミも異なる学生のうちの1人だ。しかし最悪だ。ヤツとはいろんな講義がかぶっていて、そのうち多くを一緒に受けている。あああああ。恥ずかしい恥ずかしい。
だいたいさ、人前で舌打ちをして自分の機嫌が悪いことをあからさまに示すような行為は恥ずべきことだ、って親に教わらなかったか? 学校で教わらなかったか? 人と友人関係を取り結ぶ中で自主的に学ばなかったのか?
圧倒的に「他者」だ。全く理解できない。私なら寝ている彼を起こすことも、マイクを別の人に回すことも全く厭わなかっただろう。というか、それを嫌がる、あるいは嫌がっていると示す反応をする、という選択肢は私にはなかっただろう。
こういう経験、Twitterではよくするし慣れてすらいるけれど、現実では稀だ。稀だが、現実では大抵自分と近いところで起きる。だから不快だ。苦しい。
最後に今日のプレイリストを。
①bonobos『23区』
②浦上想起『音楽と密談』
浦上想起は良い。最近では珍しいぐらい、きらきら感のあるおしゃれさだ。最近の「おしゃれ」はシンプルさを志向している気がする。でも浦上想起はゴージャスだ。「ゴージャス」という言葉を使うと途端にダサく見えるけれど。でも素敵だ。クリスマスソングも作っている。ぴったりだと思う。まあ、私は音楽には詳しくないので気のせいかもしれないが。息の多い歌い方だけど、細くない。そこもちょうどいい。
図書館で南川高志『マルクス・アウレリウス:『自省録』のローマ帝国』(岩波新書、2023年)を借りてきた。哲学の本かと思ったら、歴史学の手法を用いているらしい。まあ、読んでみる。
今は小林登志子『古代オリエント全史:エジプト、メソポタミアからペルシアまで4000年の興亡』(中公新書、2022年)を読んでいる。いい感じだ。著者は中公新書から古代オリエント史関連の本をいろいろ出しているらしい。いろいろ読もう。
おやすみなさい。