2023年5月3日

何もしなかった。遅く起きて、昼頃から夕方まで鴨川で本を読んでいた。ちゃんと活動してるじゃないか、とも思うが、「何もしない」をしたのだ。これはぼくとしては素晴らしいことだ。

それはそれとして、鴨川は素晴らしいところだ。ぼくは鴨川が世界で一番天国に近いところだと信じている。いろんな国、いろんな年齢、いろんな格好の人や動物がいて、ただ喋っていたり、楽器を演奏していたり、お酒を飲んでいたり、運動していたり、寝ていたり、ぼくのように本を読んでいたり、思い思いのことをしている。こういう場所って、他に全然ないのじゃないかと思う。しかも、その場所が「川」だってのが良い。川は文化・文明の源だからね。ぼくがいたのは、高野川と賀茂川が合流するところで、いわゆる鴨川デルタの周辺。ここは京都の隠れたシンボルなのだ。それから、鴨川は水深が浅い。だからみんな水遊びとかをしている。天然の水場。暑くなったら足を浸せる。とにかくぼくが言いたいのは、「水」は偉大で、「川」も偉大で、それが合流するとなればそれはもう最高で、そこにフリースペースがあればそりゃみんな来るし、そのことが素晴らしいってこと。鴨川は名前のない聖地なのだ。

鴨川にはいろんな人がいる。デルタで飲み会をする大学のサークル──今日は「一番可愛くアピールできた人が発言権ゲット」とか言っていて、その声が対岸のぼくのところまで聞こえた──とか、犬を連れた人々──犬同士がものすごく威嚇しあってるのに、仲良く話す初対面の飼い主たち──とか、外国人のカップル──女性が男性の足に頭を乗せて目を瞑って寝転がり、男性は女性の頭を撫でながら本を音読している、というドラマか映画みたいな二人──とか、寝てる人──そんなところで寝て大丈夫? 川に落っこちちゃわない? というか日焼けするでしょう……みたいな人──とか、ご飯を食べている人──出町橋の橋脚の、どうやってそんなところに? みたいなところに座って食べている──とか、とか、とか、いろんな人がいる。

あと、鴨川は、いろんなものとの距離感がちょうどいい。ベンチに座っていたら、普通に隣に知らない人が座ってくるけど、その人は大抵話しかけてこない。ベンチとベンチの間の距離もちょうどいい。というか、そもそもベンチじゃない、ただの芝生に寝転んでいる人がたくさんいて、その人たちの間の距離感とかも、上から見たらちょうど良いだろうなと思う。あ、ほら、ジョルジュ・スーラの《グランド・ジャット島の日曜日の午後》みたいな。あれより密じゃなくて、みんなラフな格好してる感じ。あと、本を読んでいたら、その本との距離感もちょうどいい。周りが静かすぎず、うるさすぎないからだと思う。車道は遠くて、橋の上を走る自動車は見えるけれど、うるさい音は聞こえない。

だから、鴨川にいるときは、どうも時間の流れがゆっくりで、現実じゃないみたいなのだ。こんな理想的な空間ってディズニーランドにすらないから。

じゃあ、そんな鴨川でどんな本を読むのがベストかというと、それはやっぱりエッセイや日記みたいなものだろう。集中して読まなきゃいけない学術書や新書は、ぼくには厳しい。小説だと熱中しすぎるかもしれない。でもエッセイや日記は、知らない人の生活そのものを辿る感じがあって、それがあの、いろんな人がいろんな風に存在していることがよくわかる空間と馴染むのだ。

ぼくが今日読んでいたのは、例によって柿内正午『プルーストを読む生活』(H.A.B、2021年)。今日読んだところには、柿内氏がケイト・ザンブレノ『ヒロインズ』(C.I.P.Books、2018年)というフェミニズムの本を読んで、

読むんだ、書くんだ、日記こそが素人のエクリチュール、日々の感情や身体や気分や考えやとにかくぜんぶ、とにかくぜんぶ書くんだ、そうだ! とどんどん昂ってきてすごかった。

柿内正午『プルーストを読む生活』(H.A.B、2021年)、p.272

と書いている。この一節にぼくはいたく痺れてしまった。日記だ、日記こそ、だ! ぼくも、とにかくぜんぶ、書いてやるぞ!

とはいえ無理しないようにしよう。いつも日記や書き物は飽きて辞めてしまうから。

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