書く事を考えて書きたくない時の文(どうなるか不明)

 ずーっと昔からHPやブログで書いていた時は日記を書いていた。今日は、何何があってとか、夕食は何でとか。当時はそれで良かったし楽しかった。コメントもちょくちょく少ないながらも頂けて、やはりそうゆう時は嬉しいもので。noteブログの前のブログとかその前のブログサイトもそうだけど、アクセス数は俺の中では凄い見て頂いているのだけど(他の方とは比較にならない程少ないと思うけど)コメントは本当なくて、でも、そっちのが良いのかな。ブログでコメント頂けるとそこにネットのブログ上の人間関係が生じてきて、書きたい事を自由に書きづらくなる事がある様な・・。ブログ上のコメントのお友達?みたいな方の触れてほしくない様な内容を知らず知らずに書いてしまって、その方を傷つけてしまったり・・。コメント上でのトラブルは結構あると思う。

 そう考えるとコメントがない事も良い部分があるのかなって思った。だらだらとこうして、ひとりごとなのか日記なのかなんなのかタグつけが難しい文章こそが俺の普段の書いてきた感じなのかなぁ。。

 ここ最近はこの時間は睡魔でいつのまにか寝てしまっていて、今日は軽く部屋の模様替えをして、綺麗とは程遠いけど大分見通しがみえたから。捨てる必要がない物まで何が何でも捨てなくてはいけない・・そうすれば部屋がすっきりして・・っという事だけが全てなのか・・っと思ったり。部屋を見渡し思うのは、一見雑多に見える物の配置が慣れていて、この本は一緒に置いたらスペースができるでしょ?みたいな事は俺でも分かる事であって、しかし、それはそうゆう事なだけであって、慣れている配置ではないのである。とは、いいつつ言い訳も含み、やっぱりあとちょ~~っとは捨てるか何かするものがあるのも事実。でも、この半年位で大分色々できたのではないかと思う。

 結局、書く事を考えて書きたくない時の文章の方が四方八方的なベクトル思考で誰かに読んでもらおうという事がない分気楽で、気を使わないし、ペンでノートに書くよりキーボードの方がはるかに文章を沢山早く書けて、でも、一応誰かが目を通してくれる可能性もあるからそうゆうのは一定の書く原動力の一つにはなっていて、でも、それが0だとしてもそれでも書いてきたから、俺の場合は書く事がストレスというのか気持ちの発散というのか、いや・・・文章を書けている時は生活状態と自分自身が安定している時。または、その真逆の時か。気力が減退している時は書けない事が多い。

 ただ、書く。ただ、書いているだけです。

 終わり。





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