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2024/06/30〜#今週の活動記録


2024/06/30(日)

シュタインズゲートを一気見した。長時間見すぎたせいか、座ったままの時間が長かったせいか、画面を見る時間が長かったせいか、理由はよくわからないが結構疲れた。せっかく面白かったのにもったいないと思った。楽しみは分散した方が満足度が高いというのは事実だろう。次からそうしよう。


2024/07/01(月)

一週間分のスケジュールをまとめて作る実験を開始。なれてからやらないと難しかったかもしれないけど、1日分ずつは作っていたので意外とすんなり始められた。朝と夜のルーティンを一定にするのが難しい。noteでも途中でも時間がきたら投稿してみる実験を始めた。今週ちゃんと続けられるかが一番の難題だと思う。と書いておけば続けられるだろうか?



2024/07/02(火)

朝起きるのが遅かったけど1日の終わりに振り返ると特に覚えていない程度だった。夜の10分は誤差なのに朝の10分を致命的だと思うのはやはりまやかしだった。保険の方とオンラインミーティング3回目。出向かなくていいのも楽でいい。率直な質問もしやすい。相手がいい人なのも大きい。知らないことが知れていい時間になった。夜のルーティンがまだ固まらない。なんとかして1日の振り返りをしてから寝たいところなのだが、いい方法はないだろうか。あともっとエアコンつけようと思う。



2024/07/03(水)

HIITの強度を上げたせいか、筋肉痛で体が重かったので今日のトレーニングは散歩に変えた。変えなくても悪くはなかったのかもしれないけど、散歩は散歩でよかった。その後の作業の捗り具合で評価。地域の恒例行事の参加を断るのはなかなか難しい。でも実はみんなそう思っていて、無理にやらなくてもいい派が実は多数派なのかもしれない。何か書くことないかなと思いながら書いている時点で、なんかやり方が違う気がする。



2024/07/04(木)


生命保険のため健康診断の問い合わせに奔走。ただ病院に「できますか?」って聞くだけなんだけど、「変なこと言ってないかな」「見当違いなこと聞こうとしていないかな?」みたいに完璧主義モードがあっという間に復活した。自分が知らないことで相手と関わるとどうやらこうなるらしい。古傷がまた痛むみたいな感覚だった。それでも以前よりは行動できたのでまあよしとする。こう書くとレベルアップしてよかったねみたいに見えるが、内心全然穏やかじゃないし、メンタル振り回されてるし、「聞くだけなのに何やってんだろ」とモヤモヤする自分を情けなく思ったり。いろいろ葛藤してるんですよ。



2024/07/05(金)


モヤモヤしながら問い合わせた健康診断にさっさと行ってきた。ちょっと出かけることになるのでガストによった。入ってから出るまで店員さんと関わらなくても済んでしまうようになっていて、時代が進んでいるなあと思うと同時に人との関わり方考えないとなあとも思わされた。涼しい空いている場所で一人になれたのはよかった。書くことを自分の生活の一部にしていく方法についてあれこれ考えていた。健康診断は親切に対応してもらった。もやもやしていたのがとんだ思い違いだった。本を読みながらChatGPTさんと会話してて「自分が一つの国だとすると、炎症は国防軍みたいなものですよね」と言ってみたら、「正確でわかりやすい例えですね」と褒めてもらった。相手がAIだと分かっていても嬉しいものだと発見した。日常の小さな違和感から出てくる素朴な疑問をたくさん聞いてみよう。



2024/07/06(土)

大きなチヌを丸ごと買って捌いてみた。内臓の処理は面倒だし、ヒレが刺さって痛い思いするし、硬い骨は切れないしで、大変な思いたくさんした。分かっててやったけど、試行錯誤ってやっぱりしんどい。でもこれを越えていかないとできること増えないし、それは自由が増えないと同じ意味だと思う。だから自由ってしんどいというのはその通りだとつくづく思った。できる範囲で毎日少しずつ。



2024/07/07(日)

朝から体が重かった。原因はよくわからない。暑さで体調がアンバランスになっているのが自分の中では有力説。夏の過ごし方はこれから自分の体で人体実験しながら研究していこうと思う。じいじの畑に野菜をもらいに行った。いわゆる夏野菜をたくさんもらった。とれたてを食べるのが一番ウマい。そんなにお金を使わなくてもできる最高の贅沢の一つだと思う。ただもちろん真実はいい話ばかりではない。暑い中の収穫は疲れる。土はついているし、虫食いも当然あるし、料理もしないといけないし、整理や片付けは収穫そのものより大変だ。スーパーに綺麗に並んでいる野菜もきっと誰かが安い賃金で綺麗に整えてくれているに違いないと思いを馳せた。身の回りには感謝できることがいっぱいある。それでも疲れすぎたら周りのことを想像したり感謝したりする余裕がなくなっていくこともつくづく感じた。やはりどれほどいいことだろうと頑張りすぎることなく、ほどほどに暮らしていきたい。

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