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もう一つの家族

僕には顔も名前も知らない父親がいた。
名前がわかったのは20歳になった時母親に聞いたから。
漢字がわかったのは今住んでいる東京の部屋に遺産相続の権利書が届いたから。

その権利書が届いてから1週間ほどは心が落ち着かなかった。苗字安東って言うんだ。実家は隣町だったんだ。まさかの自転車屋さんだったんだ。

権利書は僕の祖父にあたる方が亡くなり、その遺産相続の権利の大部分が僕にあるということ。
嫌な予感しかなかったので実家に電話して様子を聞くとまぁ結局、何も知らない長男の息子が負債を相続してくれたらなという魂胆だったらしい。何とも憎らしいが、僕は感謝してる。

昔から父親という存在を知らずに過ごしてきて(死んだと聞かされていた)、20歳になった時聞いたら実は僕が18歳になるまで生きていたと。
で、結局死んでしまっていたし、多額の遺産は家業の自転車屋の負債もが変わってくるからと800万円ほどの保険金や遺産を受け取らなかったと。

僕人生−800万からスタートしてない?

感謝すべきこともある。
周りに片親がいなかったこと、ある意味それを自分らしさとして生きてこれたこと。
小説や映画が好きで自分の人生や親のことを考えるきっかけや脚本を書くときのモチベになったこと。

恨むべき安東サイクル。でも僕は感謝してます。

そう思って色々考えていたら「沿岸サイクル」という言葉が不意に浮かびました。
沿岸沿いで生まれた元自転車屋の息子。
僕はお父さんのことを何も知らないけど、何も知らないからこそ好きですよ。
こと言葉何かに使おうかな

僕が書く本には絶対安東を登場させてます。何なら主役です。自転車も出すつもりです。

これからも頑張ります。見ててね〜

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