58.ローマ3:27 神に義とされて誇れる?
私たちは、とても貴重なものを与えられたとき、それを名誉なことだと思うものです。
もし私たちが「上司」からそれを受け取ったなら、私たちは自分が素晴らしいことをしたからこの栄誉を受けたのだ、と誇らしげに思うかもしれません。
私たちが "神の義 "を自由に受け取るのは、神から栄誉を与えられてのことでしょうか。
実はその逆で、私たちは「神の義」に全くふさわしくない、神の怒りで滅ぼされるに値する存在だから、あわれみによって「神の義」を与えられているのです。そうは思いたくないものですが。
貴重なものを無償で受け取ることに慣れていない私たちにとって、その戸惑いは大きなものです。しかし、これは神の恵みであり、神によって義とされることは、すべての人がイエス・キリストの贖いを信じることにのみ基づいているのです。
また、人の間に差別はなく、だれかが他の人に向かって自慢することがないようにすることにもなるのです。
考えてみましょう:例えば、善を行うための多くの努力によって、自分が神の栄誉に値すると考えている人Aがいたとします。もし、何の努力もしていない誰かが神によって義とされた、と聞いたら、Aはどう思うでしょうか?あなたはどう感じるでしょうか?
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