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洞窟の中で ― 世界で最初の Christmas(1) ―

クリスマスといえば、雪。家々の屋根に降りつむ雪。クリスマ スツリーにも雪を模した白い綿。チョコレートケーキのデコレ ーションさえ、しばしば白いアイシングで雪がイメージされる ほど、クリスマスと雪とは切っても切れない関係にあった…と 思っていた日本にいた頃は、南国のクリスマスをイメージする ことはありませんでした。

世界で最初のクリスマス、つまり、Christ の誕生祝は、どの ようになされたのでしょうか。もちろん、「クリスマス」という 言葉もないときのことだったでしょうけれど。


舞台は、パレスチナ丘陵の奥深く、ベツレヘムの草原地帯。満天に星の輝く夜の出来事…だったかどうかはわかりません。ただ、その夜は、天使が空いっぱいに現れるほどでしたから、や っぱり晴れていたんじゃなかろうか、満天の星を眺めて羊飼い たちが夜の冷え込み(放射冷却があったかも)のなか、焚き火を 囲んで狼や熊の来襲を監視しながらも、いろいろ語らっていた とするほうが、場面として考えられやすいところです。(イスラエルで1年ほど過ごしたら、写真と地図と気象統計からの想像だけであれこれ考える百倍も実際の感じがわかるのでしょうけどね。。。2000年前の場面は、相当違っていたでしょうが)

時は、オクタビアヌスがローマ初代皇帝アウグストゥスとなっ た時代。それまで、共和政治が続いていたローマの政治が、大きく変化していく節目にあたりました。

「その頃、全世界の人口調査をせよとの勅令が、皇帝アウグスト からでた」。(ルカの福音書2章から)

イエスの誕生を記すルカ福音書の2章の書き出しは、こうなっ ています。ちょうど臨月を迎えていたマリヤと、いいなづけヨ セフは、ダビデの家系であったため、この登録のために住居地 ナザレを離れ、本籍地の「ダビデの町」ベツレヘムへと旅したの でした。

「ヨセフもダビデの家系でありまたその血統であったので、ガリ ラヤの町ナザレを出て、ユダヤのベツレヘムというダビデの町 へ上っていった。それは、すでに身重になっていたいいなづけ の妻マリヤとともに、登録をするためであった。ところが、彼 らがベツレヘムに滞在している間に、マリヤは月が満ちて、初 子を産み、布にくるんで、飼い葉桶の中に寝かせた。客間には、 彼らのいる余地がなかったからである。」(ルカの福音書2章から)

ナザレは、パレスチナ北部の緑美しい低丘陵地。そこから南部 のエルサレムを越えてベツレヘムまでの道程は、緩やかとはい え上りのコース。この間、直線距離で約110km。滑らかな高 速道路もなく、丘を回って歩く道のりは、巡礼で旅なれていた ユダヤ人ではあったとしても、また、歩くではなしに、ロバを 使ったとしても、まさに産まれようとしている子を胎に宿して いるからだには、こたえる旅だったに違いなかったでしょう。

住民登録のためにやってきたすべての「ダビデの家系の人々」 ―もちろんこれは王族の家系ということ―を含んだ多くの人た ちが、ベツレヘムに集まってきます。マリアとヨセフが着いた ときには、すでに宿にできるような家は、満杯の状態でした。 いくつの家の戸をたたいたかわかりません。断る側にしても、 臨月のマリヤを見て気の毒にとしか言いようがなかったわけで す。

結局、落ち着いた先は、馬小屋でした。

ちなみに、インドネシアでは「羊小屋」。韓国では「牛小屋」 と言われているそうです。けれども、聖書には、「飼い葉桶」 の記載はあるものの、そこにどんな家畜がいっしょにいたの かは記されていません。だから、「馬小屋」だったかどうだか も、わからないんですね。まあ、いろいろな家畜が入り混じっ ていたのではないでしょうか。

さらに言えば、「小屋」だったのかどうか…。「小屋」からイ メージするものは、せいぜい丸太小屋とか、板を打ち付けただ けの粗末な建物。インドネシアで小屋といえば、竹を2センチ ほどに割ったものを編んだ壁の、風通しのいい家なんですけど。

パレスチナの丘陵は、裂け目の入った石灰岩の丘で、至る所に 洞窟があり、その洞窟が住居の一部として使われていたそうです。家畜用の部分は、その中を仕切った低いところ。ホテルを 探し回って、どこにも空き部屋がなくって、しょうがないから、 裏手の馬小屋に入った、というのとは、ずいぶんと違うイメージで す。

ナザレという地方の一寒村出身といっても、緑豊かなガリラヤ 地方に暮らしていた二人が、住民登録という思いがけない時期 の思いがけない出来事のために、半ば荒涼とした地方にやって きて、家畜の洞窟の中で子どもを産むという、とても考えられ ない事態を迎えていたのです。日本の施設整った病院で子ども を産むのが当たり前という常識からすると、衛生上からしても、 感覚上からしても、とても耐えられるようなものじゃなかったでしょうね。



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