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はじロー(22)私をもよみがえらせる神

はじめて読むローマ人への手紙4章23-25節

私をもよみがえらせる神


よみがえる。復活。ワクワクさせる言葉だけれど、一方、「死者の中から」と言われるとオドロオドロシイ感じがしてしまうかも。

復興は信じたいけど、復活は、というのはなぜでしょうか。復興を実現させるのは人間の力で、死んだものが生き返るなどありえない、と、やっぱり自分を信じることが基準になっているからかもしれません。

だから、アブラハムの奇跡的な物語を読んでも、アブラハムはアブラハム、私は私、で終わってしまうのでしょう。でも、アブラハムの神が、私の神だったら?

「神」が、もし事前のお知らせもなく、昨日・今日突然この世に現れたと言われても、信じられないでしょう。天地を造ったはずの神が、今の今まで隠れて過ごし、急に現れて人を驚かすようなことをするはずはない、、、

パウロは、アブラハムが神に義と認められた経験を、私たちのための先例として紹介していました。4千年前の先例。想像もできないくらいの昔の人、という感じもするのですが、神からしたら、たぶん4日前くらいの出来事なのでしょう。その頃からの記録がちゃんと残っているのも、真摯に神に向き合ってきた人たちならではの務めの結果なのです。

アブラハムは、自分自身の死んだに等しいからだから子孫が生まれでて来るとの神の約束を信じたのでした。私たちには、神がすでに死者の中からイエスをよみがえらせたことが知らされ、この神を信じるかどうか、問われているのです。

それは、3章前半までパウロが解き明かしていたような、すべての人が神に対して的はずれな生き方に決別するために、神が提示してくれている、唯一の方策です。ユダヤ人を始めに、ギリシャ人も。

十字架にかけられて死んだイエス・キリストが、3日目によみがえらされるとの予告は、3年以上従い続けてきた弟子たちにも信じがたいことでした。それでも、イエスが聖書に預言されてきたキリスト、救い主であることを信じていた彼らに、預言通りに死者の中からよみがえらされてた時、彼らに姿を現したのです。そうして弟子たちは、イエスをよみがえらせた神を信じるに至ったのです。

今私たちも、弟子たちに姿を現したのと同じように、私にも姿を表して見せてみろ、と、つい言いたくなってしまいます。でも、まずはイエスがキリストだと信じなければ、、、

神がいつも自分と共にいてくれることを信じられるようになれるのは、やはり、約束を実現してくれる力がある神だと信じることができるからなのです。私をもよみがえらせてくれる復活の力を持つ神に信頼できるとき、ようやく私も、神が共にいてくれる自分を信じることができるようになったのでした。

それは、神が私を愛してくれていると知ったからでした。パウロは次にそれを解き明かしています。

ローマ人への手紙4章23‐25節

しかし、
「彼には、それが義と認められた」
と書かれたのは、ただ彼のためだけでなく、私たちのためでもあります。すなわち、私たちの主イエスを死者の中からよみがえらせた方を信じる私たちも、義と認められるのです。主イエスは、私たちの背きの罪のゆえに死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられました。
(新改訳2017)


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