はじロー(34) 恵みが私たちのからだを支配する
はじめて読むローマ人への手紙 5章21節
恵みが私たちのからだを支配する
自分の人生を取り戻す。キリスト信仰によって神に義とされた人が受けている恵みの人生についての結果でした。
死によって罪に支配されていた人生は、自分の手に負えないものとなっていました。自分の意志ではどうにもならない「死」に支配されていたのが、キリストを信じる前の人生。
私たちが神を神として認めなかった時は、神は私たちを無価値な思いに引き渡して、してはならないことをなすがままにまかせていました。それが死に支配される人生だったのです。
それが、義によって恵みに支配される人生へと変わった、とパウロは宣言しているのです。
それはパウロが後述するように、「罪のからだ」が滅ぼされて(6:6)、「死のからだ」から救われる(7:24)ことが与えられている人生です。
肉に従うのではなく御霊に従って、死ぬべきからだが生かされる人生です(8:11)。
さらにキリストとの共同相続者としてからだが贖われ、栄光にあずかることまでも約束されている人生です(8:21,23)。
これらのことを自分の現実として確実にするために知るべき問題が、2つあります。1つ目が「律法」。2つ目は「肉」。パウロはこれらを7章で解き明かします。
信仰によって義とされた人が、その後の命、永遠に至るまでの時を、どのように生きるのか。その序論はここで終わります。これからいよいよ、栄光に至るまでのすべての人の歩み、ユダヤ人をはじめギリシャ人も、また日本人も、この道を歩むことになるのです。
ただ、自分ではないかもしれない何者かが自分の人生を支配している、というのであれば、それもなんだか怖い、と思うものです。「恵みが…支配する」と、言葉は見かけ上ではいい感じなのですが、それって何?となります。
手紙の自己紹介のはじめ、キリストのしもべ、とパウロが言っていたことを思い出します。自分のからだを自分のものではない、キリストのものだ、と言っていたのです。
私たちは、親が自分のために引いてくれた人生のレールをも、しばしば「他人」に人生を支配されたくないとの思いで拒否することがあります。自分の人生だから自分が決める、と。そこで思い起こすのは、やはりいろいろな人との出会いです。それによって自分の歩みは大きな影響を受けてきていたな~、と思います。
この世に生まれてきて最初に出会うのは親。それからさまざまな人に出会うことになります。
でも、神に出会うと言う経験は、なかなかできませんでした。パウロが言ってきていた通り、私が神に背を向けていたからです。
神は、キリストを信じた私と共に歩んで下さいます。
何かすべきことというのは、対話を通して私が納得したこと。妄信的に、あるいは盲信状態で従うように仕向けられるのではなく、人生の歴史を振り返り、地球の歴史を振り返りながら、これからのことを自分で考えるための引導になる言葉が語られてくるのです。
それでは、教えられたことがすくに実践できるようになるか、というと、あることはすぐに、別のことは訓練期間を経て、と、少しずつ身についていくわけです。
すぐにすべてができるようにならないのは、肉の弱さがあるから、なのだと思います。
このあと6章以降、パウロが教えてくれるのが、その肉の問題。対話は続きます。
ローマ人への手紙5章21 節
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