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”ローマ”の日々

ローマ人への手紙は、新約聖書の中でパウロ書簡の最初に置かれているとおり、クリスチャン生活にとって非常に重要なものです。私たちがキリストの大命令に従って、すべて命じられたことを行うためにも、基本的な理解を持つ必要があります。

手紙の第 I 部(1章1-17節)は、この手紙のテーマと目的を提示している部分です。ハバクク書からの引用で「義人は信仰によって生きる」を基本的な土台として、ユダヤ人を始めギリシャ人にも適用される福音の信仰が語られていきます。

パウロの目的は、福音理解によって聖徒が整えられ、神のいのちに生きるものとなって実を結ぶことにあります。特に、ローマの聖徒たちに向けては、イスパニアの宣教の重荷を共に持ってもらうことと、ユダヤの貧しい聖徒たちの援助のことを知ってもらいたいとの具体的な目的が手紙の最後の部分で語られますが、そうした愛の支援に自発的に関わろうとする力が福音にあることをパウロは心得ていて、「ぜひ福音を伝えたい」と願っているのです。


第 II 部(1章18節−5章11節)は、人が義人とされる贖罪への信仰が説かれます。義人は信仰によって生きるのですが、すべての人がもともと義人であったなら問題はそれほど大きくはなかったでしょう。けれども、すべての人が罪人であることが、事を難しくしています。まず、人がどのようにして義人とされるのかが、ここで詳しく説かれるのです。それが、信仰に始まるところです。


この部分のはじめは、すべての人が罪人であることの論証です。ユダヤ人もギリシャ人も、罪の自覚がないままにあったため、神に対する罪がすべての問題の根幹にあることから始め、モーセの律法も、異邦人がそれぞれに心の内に抱いている律法も、人を義とすることはできず、ただ罪の自覚を促すだけであることを明確にしています。

そのうえで、イエス・キリストの贖罪が語られ、それを信仰によって受け入れることで義と認められると、明らかにしています。神によってなされた贖罪の出来事の真実さと共に、それを個人的に受け止めるに当たって、神の愛という側面が特に記されて、第二部が終わります。天から啓示されている神の怒りが、御子の死によって和解され、御子のいのちによって救われる言明で次の第三部へと入るのです。

第 III 部(5章12節−16章)がパウロの目的である、義人が信仰によって生きることを説く部分です。

ここでも第 II 部と同様、すべての人が罪人であったことが、信仰によって義とされた後でいよいよ神のいのちに生きる上で問題を生じさせていることをまず明らかにしています。罪人であった者が信仰を得て神に仕えようとする時に、かつての律法に支配されていた時の習慣が鎌首をもたげてくるのです。

それを乗り越えるのが御霊に導かれる生き方。肉に従う古い習慣をやめようと努力しても難しいもの。唯一、御霊に従う新しい習慣を身につけることで古い習慣を脱ぎ去ることができるのです。

ユダヤ人をはじめギリシャ人もパウロの模範を見ながら、模範を次の世代に伝え続けることを可能にしてくれる御霊に従う生き方を学びました。私たちも日々、ローマ人への手紙を読むことでそれを身につけていきましょう。

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