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『夢介千両みやげ』補遺

そういえば熱で朦朧とした頭を抱えながら宝塚大劇場公演千秋楽の中継を観ていたら、『今夜、ロマンス劇場で』にて入念に描かれたタカラジェンヌにおける起源の虚構化と、またそれを興行全体をもって裏側から照射し立体化させえたある偶然=符合について思いを巡らせるにあたって、わざわざそのときちょうど観劇したばかりだった『夢介千両みやげ』へと迂回したにもかかわらず肝心かなめのお松について言及するのをすっっっかり忘れていたことに遅まきながら気がつき愕然としてしまった……のをいまさら思い出し居心地の悪さを持て余すのだった。なんてお間抜け、なんという片手落ち。

お松が総太郎と祝言を挙げるにあたって、身寄り=故郷の失われたお松を夢介が妹として引き取り、お銀とともに親代わりとしてあらためて伊勢屋へとお嫁に出そうと申し出る。お松の失われた出自が再設定されることで親子の系譜は夢介とお銀を新たな起点に引き直され、やがて生まれてくる総太郎とお松の子供へと連繋していくことが予感される。かつて三太に向かって口にした「親がいないとお前さんはこの世に生まれてねえ」という、おのれを生み育んだ家族像に由来する素朴ながらもそれゆえに暴力的でもある説教は、しかしながら作品を貫く運動規則の端的な表明でもあり、あくまで夢介はそれに忠実に、半ば暴力的に、因果律を捻じ曲げてまで、そのつじつまを自ら合わせるかのごとく振る舞ったにすぎない。そして実家=親を起点とし、お銀を連れ帰ることできれいに円環を描き終りを迎えると思われた道楽修行もまた暴力を伴いつつ夢介自身によって一方的にその終了が宣言される。

円環は閉じることなく、始点は再設定される。ふたりは夫婦になる。そうして道中の行き先へと、物語の向こう側へと線は延びていく。……ちょっとだけ、『夢介千両みやげ』が彩風咲奈と朝月希和のお披露目公演だったら美しかったよなあ、と思ったりもしたのだった。

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