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他者の言葉が怖い(前)

小説を書いては文学賞に応募を繰り返していた。
小説家になりたかった。

ヨーグルをみていたら自然と彼みたいな小説家になりたいと思うようになった。
それほど書いている彼は素敵だった。

彼の様々な姿に自分を重ねた。
小説を書いて、ゲラを直して、担当さんと打ち合わせして、出来上がった本にサインして、インタビューを受けたり対談したり講演したりドラマ化されたり海外翻訳されたり。
そんなきらきらした未来を想像してわくわくした。

先日、フォロワーさんの伝手で、ある記事で私のことを書いているのではないかと思わされるものを見つけた。
名指しではないので「違います」と言われたらそれまでなのだが、思い当たる節がいくつもあるので間違いないだろう。
まさかこのように自分のことを書かれていたとは思ってもいなかったので、驚くと同時に落ち込んでしまった。

私は記事では自分のことを書いている。
そして、基本的に他人のことを書くときはその人に許可をもらっている。キョウもヨーグルもだ。元彼はさすがに連絡はとれないので情報に気をつけること、そして仮に彼らが読んだとしても傷つかないようにと配慮しているつもりだ。私の過去の恋愛話が美談になるのはそのためだろう。

それでも私の記事を読み不快に思われる方はいる。
noteの素敵なところは、そこはスルーしてくださる方が多いことだろう。
あらためて、申し訳なかったと謝罪するとともにお礼を申し上げたい。

不特定多数の人に向けて書くことは覚悟がいる。

意図せず人を傷つけることがあるし、思わぬトラブルにつながることだってある。わかっていたはずなのに、私は自分にそんなことは起こらないとどこか高を括っていた。
愚かだったと思う。私のそんな気の緩みが元凶なのだと反省している。

ヨーグルと自分を重ねて、小説家になった自分をたくさん想像した。
その想像はどれも煌びやかで華やかだ。
机に向かって淡々とパソコンを打ち続ける姿。ネタや〆切に苦しむ姿だってかっこいい。

でも知っていたはずなのに、私は全く想像してなかった。
知らない人からネットで悪し様に書かれたり、本当に読んだのか?と思われるような批評とは言い難い悪口をただ並べただけの感想文がネットにあげられたり。
彼が一切、触れないことをいいことに、私はそういうものをいつしか忘れてしまっていた。

ふと、私には無理だなと思った。
小説を書く才能があるとか、小説が書けるというレベルじゃない。
不特定多数の人に自分の書いたものを読んでもらうことに向いていない。
私はあまりにも他者の評価に弱すぎる。他者の言葉を恐れている。

落ち込んでいたら、彼から電話があった。
「もしもし」と言われて心が揺らいだ。確か某社の〆切二日前。
顔を見られたら一発で落ち込んでるのがわかるだろうけど、声だけなら大丈夫と平静を装って話をする。

でも、すぐに「凛子、どうかしたか?」と言われた。

どうやら私は声にも出るらしい。

「何でもないよ。私の声、変?」
「声、というよりリアクションかな?」

リアクション。盲点だった。

「ちょっとnoteでいろいろあって」

情けない。
人の言葉にこれほど心折られてしまう自分がただ情けない。
それを自分で処理できず、彼に吐き出してしまうことがただただ情けない。

noteでトラブルがあったこと、記事で私のことと思わされるようなことが書かれていたこと、今回のことを通じて自分が不特定多数の人に自分の書いたものが読まれることには向いていないと思ったこと。
そんな話をした。

「怖いの」と訴えた。

「何かを書いて不特定多数の人に読んでもらうのが急に怖くなった。きっと傷つけてしまったり、嫌われたりすることってあると思うの。それを嫌だと思ってるような私は物書きには向いてない」

話を聞き終えた彼が「うーん、そうだな」と言葉に悩んでいる。
そして。

「そうだね。凛子には向いてないかもしれんな」と言った。

「凛子はそういうところ、とても気にする子だからね」と。

その声があまりにも優しかったので、きっと今の彼は困ったような微笑みを浮かべているんだろうな、と思った。

「ヨーグルは気にしないの?自分が一生懸命書いたものが、ネットで悪口を書かれたり罵られたりすること、怖くない?」

「悪口じゃない。批評だよ」と訂正しつつも「それは怖くないね」と即答するので、びっくりした。

「怖くないんだ?」
「怖くないね。僕にはもっと怖いことがあるから」

そのあとに続く彼の話を私はきっと忘れないだろう。

「悪くも書かれなくなる。誰からも読まれなくなる。そうなることが一番に怖い」