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観光旅行というより、移動とそれに付随する文脈が好き

はるばる遠くから大学の最寄りに降り立ち、瞬きをして、目を開けると気づけば大学の終わりに到達してしまった。

これからは各々卒業研究や大学院入試に勤しみ、各々の研究室に引きこもり顔を合わせることも減ってしまうため、おそらく卒業旅行はしないだろう。

思えば大学の間、お金がないなりにいろんな友達と、いろんなところに行った。

那覇・札幌(小樽)・金沢・草津・宇都宮(日光)・仙台・大阪・京都・銚子・(下田)

九州・四国・東海以外はだいたい行ったので、もしまだ学部の間に行けるなら、三重(名古屋)と熊本に行きたい。
伊勢神宮は小さいころに行ったきりなので、もう一度行きたいし、なにより赤福を本店でもう一度食べたい。僕はあの和菓子が大好きなのだ。
熊本は人生で未踏の福岡以南の九州だから行ってみたい。馬刺しと鳥刺しを食べたい。
四国は昔行ったときに香川愛媛を十分堪能したのでもういいかなという感じ。一応高知には行ってみたいけど、空港からの交通手段が厳しいな・・・

美味しいご飯の話ばかりになってしまったが、本題に話を戻すと、いろいろな評論やエッセイで書かれているように、最近の旅行は知っているものの再確認になってしまっている。SNSが発達し、映像技術もずいぶん発達した現代においては、だいたいの行先で観光地は事前知識を確認する行為の場になってしまっている。どこかに行っても、「ああ、ここは~で見た~ね」という感想が第一に来る。

だから正直、有名な観光地に行ってもそんなに盛り上がらないし、幾分のお金をかけてまで行く気もあまりしないのだ。

じゃあなぜ、旅行が好きなのかというと、移動と、それに付随する文脈が好きだからだ。

僕は普段から知らない駅で意味もなく下車し、適当に散歩し、何を食べる、買うでもなくそのまま空気を味わって帰宅するのが結構好きである。一人の外出はだいたいコレで、特に目的はないことが多い。

じゃあ何が楽しいのかというと、適当に歩く中で町の空気を吸ったり、あたりを観察したり、全く関係ないことに思案を巡らせるのが楽しい。長い間わからなかった文章の理解や、悩み事は家の中でじっと悩むよりは徘徊しているときのほうが解決しやすい気がしている。
そして、僕は飛行機や新幹線などの長距離の乗り物に乗るのが好きである。特に飛行機に乗るのは好きだ。まず空港という空間が好きである。慌ただしい通勤列車の駅と違って、保安検査などの都合上、余裕をもって行動する人が多いため、空気感に余裕がある。そして、飛行機のあの重力感が楽しくて好きである。特段家族と仲がいいわけでもないのに帰省したいのは飛行機に乗りたいから、というのが理由のほとんどを占めている。

以上は一人旅行の楽しみであるが、友達と行く旅行は行先よりも、そこにたどり着くまでの会話目当てに行っている。よく知った観光地を見るより、なんだかんだ友人と雑談するのが一番楽しい。これは旅行に限らず、遊びに出かけるときもそうである。
また、ありがたいことに僕が一緒に旅行に行く友達は僕よりも知識があることがほとんどなので、僕が知らない良いスポットに連れて行ってくれるので、新鮮味があって楽しい。これに限らず、つくづく、人間関係には恵まれている

以上のように、僕は観光よりもそれ以外の要素が好きなのだが、これは僕に限ったことではなく、最近の人間はみんなそんな感じなのだろう。

だから最近は、あまり知識がなく、新鮮味があるという意味で海外に行きたい。英語を喋りたいというモチベーションがあるので英語圏がいいな。

昔は人見知りだったのに、今は海外のフライトで発生するという、隣席の人とのちょっとした会話をしてみたいな と思っている。みんな静かにしている国内線では、隣人に話しかけるのは変人だと思われそうだからやらないが。
知らない人とその場限りの雑談をする楽しさを最近は求めている。意外と外交的になったのかもしれない


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