幸福とは
禅問答のように答えのでない問の一つに
「人間にとって幸せとは?」
というものがあります。
ハードコアの世界にいる私の独断と偏見に満ちたエッセイみたいなものを書きます。
上記問を考える前にまず
「生きる意味とは?」
という問いを考えてみましょう。
私にとってそれは、ギターウルフのセイジさんが言っていた
「最後に笑う」
ことです。
「最後に笑う」とは、「ある区切りのとこ(最後)に幸せを感じる」と思っています。
つまり、区切りまでのプロセスが辛くて不幸を感じても最後に幸せを感じればオッケーだと思ってます。(簡単に言えば結果オーライ)
さて「幸せを感じる」とは何でしょうか?
私は「自分が納得する」ことだと思っています。
区切りまで物事をやってそれが失敗に終わることがあるでしょう。
他の人は自分のことを「負け組」と判断します。
しかし、自分が納得するまでやっていたら、たとえ失敗しても幸せを感じれると信じています。
逆に他の人が自分のことを「勝ち組」と判断しても、自分が納得するまでやっていなければ、きっも心から幸せは感じることはできないでしょう。
(私の経験上納得するまでやれば、大体成功しますが)
さてはじめの問いである「人間にとって幸せとは?」の私の答えは
「自分が納得するまでとことんやって最後に笑うこと」
だと思っています。
さて納得するでとことんやる領域(フィールド)は人によって違います。
仕事だったり家庭だったりプライベートだったり。
私にとってその対象はプライベートです。
特にライブ企画です。
しかし、それらをやるにはまず生活の安定やライブ企画に必要な資金がいります。
そのためには働かなければいけません。
私は貧しい家に育ちました。
それゆえ、生活とやりたいこと(いまはライブ企画)が最低限できれば、それ以上のお金は求めないタチです。
生活も家がほしいとか高級車がほしいとかは全くありません。
その資金さえ仕事で集まればいいです。
計算すると週3日働いて地方に住めば事足りる計算です。
そこには資本主義のアリのような懸命な労働は必要なく、また私は幸せは納得するでやるという精神論を前提としているので、マルクス哲学の物質からこの世は成り立っているという点とも外れてきます。
むしろ仏教的な精神論に行き着くと思います。
週3日しか働かずやりたいことをやる。
それは現場の日本の多くの人からすれば「怠惰」という意見になるでしょう。
ラジオでアメリカのジョークの話が紹介されていました。
アリとキリギリスの話でキリギリスがアリの家の扉を叩いた所返事がなく、扉を開けてみるとアリが過労死してた。
と、いうものです。
私はキリギリスで生きたいです。
しかし、キリギリスになるには他の人の意見に振り回されない自分を持つ強さが必要だと思います。
この強さはどこから得られるのでしょうか?
ニーチェの言葉に次のようにあります。
「ゆっくり心に決め、決めたことを守り通すことで人は強くなる」
私は次のように解釈してます。
「しっかり考えたうえでやることを決めて、それを納得するまでやる」
と。
私にとって幸せとは「沢山の金」ではなくもっと精神的な「納得するでやる事」です。
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