やりたいことはない。課題はたくさんある。

こんにちは、カンボジア人に「日本語上手ですねー」と言われたので、「うん、日本人だからね〜」って笑顔で返したら、となりにいるカンボジア人から大爆笑されたあきらです。

中国人からも同じことを言われ、ぼくは日本人として見られてない事実を確認しました。

【やりたいことはない。課題はたくさんある。】

誤解を招くのを承知で言えば、いま、現在、やりたいことがない状態にある。しかし、やらなければ、ならないこと、乗り越えなければならない課題を抱えているところだ。

サーカス団はつくるとしても、目先の目標は自分自身の改革が最優先だと考えたからである。

いつか、形にしたいことやものができたときに、しっかりと受け取れる自分でいるようにレベルアップできるよう、スライムを倒しまくろうという時期に身を置いている。

さて、私がスライムと表現し、倒すとは何か表すために、以下の3つの行動を紹介する。

・本を読む
・お祈りする
・語学を学ぶ

これら3つの行動にある軸は、「世のため、人のために貢献できる人間であるだろうか?また、そのように貢献できる人間であるために、どのようなことを軸に置くべきだろうか?」という問いだ。

むろん、当たり前のことだが、自分のことすらも満足にできない人間が人のため、世のため、正義(エゴ)を振りかざして、活動する姿は素晴らしいだろうか?いや、ない。

自分を幸せにすることが先決だ。

論語を読むと次のやりとりが書かれていた。

「自分の私欲に打ち克って、礼に戻るのが仁である。一日、自分に打ち克って礼に戻れたら、天下の人は皆、仁に向かう。仁を行うのは、自分の力である。人任せにしておけようか」

いつの時代でも、我が強い人間は敬遠されがち。「自分で運を切り拓いてみせる」という姿は神様や先祖、先輩方に対しても、傲慢な態度に写る。

自分がうまくいかないときは、自分自身に何らかの問題がある。利と思うものは反面に害を招き、害と思うものは他面に利となることが多い。

私たちはものごとを頑固に一面からのみとらえないで、あらゆる角度から理解できるという咀嚼力を身につける必要がある。

咀嚼力を身につけるためには、感謝を持ち、先祖の試行錯誤に尊敬の念を持って、学ばせていただく気持ちでお祈りをする、本を読む。

プラスαで向上するために、努力できるよう、目標をたてると良いそうだ。

私は中国語、ロシア語を学んでいる。

中国語に関しては、喋りはじめて、会話ができるレベルにまで、育ちつつある。

だが、サーカス団をつくり、興行したい私にとって、パフォーマンス活動を一時休止し、語学を勉強することや就職することはもしかしたら、目標の設定ミスかもしれない。

しかし、努力とその成果は、かならず、最終的な目標達成のための養分、こやしとなっているはずだ。失敗は失敗ではなく、最終の目標を達成するための原動力であり、成功に必要な具体的な知識と技術を学ぶことであり、さらに成就するために必要な心のバネでもあると信じている。

やりたいことはないけれど、超えていかなければならない課題はたくさんある。

いま、日本人と見られていないこの状況で、語学を学ぶことがどういう道につながるのだろうか、未知の道、楽しみながら、進む。

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