あなたが「自分が自分でいられる」と感じるときはどんなときだろうか?

7月4日

☆前回までのあらすじ
素直に言葉を受け入れることを大事にしたら、違った見方から、気づきを得ることができたことを発見したあきらは、感謝の気持ちを持って、生きることを決意する。

こんにちは、評価されることが怖くて、人目を気にしすぎ、上司の前ではずっとおどおどしていたチキンが堂々としていた日を過ごしたチキン改めあきらです。

「自分が自分でいられる」どっしりとした感覚を覚えるようになりました。

さて、みなさんはどのようなときに「自分が自分でいられる」でしょうか?

・人から褒められたとき?
・自分が成果を出したとき?
・趣味に没頭してるとき?
・何かに挑戦してるとき?
・仲間といるとき?
・愛してる人とそばにいるとき?
・お金があって、安定して暮らしてるとき?
・感情が安定してるとき?

人それぞれ、違った存在なので、いろんな答えが出るでしょう。

ただ、ぼくは「自分が自分でいられる」ふわっとした立ち振る舞いになった状態がはじめてだった。

コンプレックスに悩まされ、コンプレックスと立ち向かうため、何者かになるために、日本にサーカス団をつくる夢を叶えるために頑張ってきた。

でも、何かが足りない。ぼくはぼくじゃない気がした。

振り返って思うと、ぼくがしてきたことは、きっと、コンプレックスと闘うための“虚勢(ポーズ)”だったのかもしれないと考え方を変えつつある。

不可能ではないけれど、自分の実力に見合わない挑戦をしてきたり、俺はこんなにやってるぞと発信をしてきたりしていたことを思い出す。

当時は、挑戦することが自分のすべてだった。

いまでも、挑戦することは、他人(ひと)からぼくを評価する理由のひとつとなっている。

また、発信することが、自分の存在を認めるためのツールだった。

挑戦して、得られた成果をひっさげ、調子にのっては、人からの信頼を失う。

俺という存在がいるんだ、だから気づいてよ。わかってくれよ…なんて、戯言(ざれごと)を心の中で宿してた。

そう、まぎれもなく、コンプレックスのかたまりでしかなく、それらに気づかせてくれた理由は、多くの人に出会い、関わっては自分の感情に気づいたからなんですよね。

話をもとに戻すと、最初の方で、「自分が自分でいられる」ときはいつでしょうか、と聞きました。

皆さんは、いかがでしょう。

自分が自分でいられる理由はなんですか?
お金があるから、自分でいられますか?仲間や人がいるから、自分でいられますか?褒められたり、成果を出したときに自分自身を感じることができますか?

いや、ぼくはそう思わない。

それらは、自分以外の何か(モノ・ヒト)があって、成り立つことであって、もし、自分以外の何かがなくなったときには、あなたはあなた自身でいられないんじゃないか。

バリアではなく、生身の身体でもなく、心の強さがあなたをあなたらしめる理由である。

そう、思うわけです。

ぼくがいま、ぼくでいられる理由はなんというかこう、“自然でいられている”からではなかろうか、と考える。

自然でいることは、心や感情を安定させた状態で、フラットにし、物事を大きな目でみること。

そういえば、樹木希林さんがこんなことを言っていた。

自分の判断を超えるものに対して、拒否したり溺れたりしないでもう少し自然でいたいなあと思うのね。

だって、それほどわたしは強くも弱くも偉くも駄目でもないんだもの。

  -樹木希林

そう、ぼくはそんなに強い人間ではないし、

かといっても、弱い人間でもない。

地位があるわけでもない、

だけど、実績がないわけじゃないんだ。

とはいえども、過去のことは過去と割り切って、いま、自分ができること、自分に必要なこと、自分に求められていることを淡々とやる。

ぼくは、この淡々と自分のためにやる…ことがかなり好き。楽しめるなら、とてもいいこと。

人間はあした地球が滅ぶとわかっていても、きょうリンゴの木を植えなきゃならないものなのよ。
そういうふうに考えて生きていきましょうよ。
 -樹木希林
あたり前にまず物事を考えないと、
あたり前に自分が成長していかない。
自分をあたり前のところへ置くという作業をできるだけやってるわけです。
-樹木希林

「自分が自分でいられる」理由を人生をどう生きるかまで、範囲を広げたら、このとき命をいただいている役目であり、役割であり、使命であるんだろうなと捉えては思い、消しては直してる。

自分が自分でいられる理由は、自分にしか感じえない感情を感じたいから。喜びや悲しみ、怒りや楽しさを感じて生きる。

きっと、そうなんだろう。

そうかもしれない。

もし、本当にそうだとしたら、

ぼくはずっと、何かに挑戦しては、人とコミュニケーションを面白がっては、新しいモノをつくるに違いない。

では、また。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?