いかに自分を捨てることができるか。

「あなたこそが達人だ。」

柳生宗矩をご存知でしょうか?

徳川将軍家指南役まで務めた剣の達人です。

こんにちは、歴史を勉強することにハマっているあきらです。

昨日、我をなくし、これから、成す道化師像であるために職につくことを決めました。

我をなくすとは…自分を磨くには、具体的にどうしたらいいのか、歴史のなかに探しました。

【いかに自分を捨てることができるか。】

極端な例をあげると、我をなくすことができるときは「名誉も地位も財産も全てできる自分の命までも神にあずける心境に立った時」でしょう。

これだけだと極端すぎて分からないので、
柳生宗矩のエピソードを紹介します。

あるとき、宗矩は道端で一人の侍と出会った。この侍をひと目見るなり、ハッ!と感じるものがあり、宗矩は思わず問いかけた。

「ムムっ、みたところ、あなたはひとつの流派をなしている達人に違いないと察し申しあげるが、いかがかな」

「いいえ、私はそのような人間ではありません。」
侍は答えた。

「いや、いくら隠しても私にはわかる。こう見えても私は、新陰流の達人と言われる人間。これまで何人もの武芸者に会い、それなりに道を極めてきたのだ。それゆえ、一見しただけでどの程度の人物か全てわかるのだ。あなたは必ずや、ひとかどの流派をなしているに違いない。私の目に狂いはない。」

「それではお伺いするがあなたは毎日どのように生きておられますか」

「いやあ、私はとりたてて剣術が強いというわけではありませんし、また真剣にやっているわけでもありません。ただ、いやしくも主君に仕える武士として、いついかなるときでも、一朝ことあるときには、喜んで死ねるよう心がけてはいるつもりです。毎朝登城するときには、今日死んでもいいと、常に死の覚悟をしてからお城に行くようにしております。」

このエピソードは「達人にいたる極意」を教えているようで、おもしろいですよね。

昨日、日頃から気にかけてくれる人と電話をした。

話の流れで、あなたは「人を喜ばせたい」のか「自分の技術を磨きたい」かという質問をされたので、

ぼくは「人を喜ばせたい」と答えたら、
「相手が喜ぶことを全力でやるといいよ」とアドバイスをもらった。

うん、いただいたアドバイスは物事の真理をついてる。

ぼくは日常生活においては、目の前にいるたった1人さえ、笑顔にできない。

我をなくせ。

我があるから、相手の立場にたって、一生懸命になれない。

かけるべきプライドはそこじゃない。

目の前にいるたった1人に。

目の前にいる人間に“愛”と“感謝”を伝えるために。

ぼくは我をなくす修行をする。

相手を第一に。

自分ができる技術や知恵、知識を総動員して。

サービスって、そうだろう?

エンターテイメントって、そうだろう?

ぼくがプライドをかけるべきは、お客さんの笑顔にある、と信じる。

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