Narita
Ysusuke
noオールナイトニッポンゼロを聞いた。
酒のんで料理作りながら適当に聞くのが丁度いい感じ。
それはたぶん声が耳ざわりじゃないから
ラジオの中で、お便りに対して講義(仮)するじかんがあった。
適当なこと言ってるとは思ったけど、触発されることが大事なんだと思う。
どんな未来で、くそメタバースで身体がなくなったとしても、自分の存在は他人のための存在でしかないことを再認識しました。好きなお寿司のネタがカニカマだっていうことがほんとでも嘘でも関係なくて、死んでも生きてても、全部受信する側が決めることなのであります。
悪魔も神も、デブも痩せも、自分という存在は自分が定義するのではなく、所詮一時的な社会の中の、「私以外の全員」が決めることなのであります。
生きているのか、死んでいるのかも、元はと言えば他人の存在ありきです。
ラジオで成田さんも言っております。孤独が一番しんどい的なこと。
私たちは”私たち”でしかなく、
”個人”とは、
ランダムに割り当てられた麻雀牌のようなものなのでしょう。
か。
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