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目標と理念について

こんにちは。

今日は、今読んでいるラスハリスさんの著書『幸福になりたいなら幸福になろうとしてはいけない』の中でとても共感できる内容があったので記事にしたいと思います。

1、目標について

私たちは、何かを成し遂げるために目標を立てますね。年初め、上半期下半期、会社でも個人目標を立てて、その結果によって賞与を出している会社がほとんどでしょう。

もちろん、目標は動機付けにとても大切です。目標を立てることでモチベーションも上がりますし、目標もなく生活していると味気ない生活になるでしょう。

では、目標だけが全てか?答えはNOです。目標というのは、達成しようが、できまいが終わりが来ますよね。就職活動や受験にせよ、終わりが必ずきます。

目標を達成することも大切ですが、目標を達成し、その目標を達成したことを将来にいかにプラスにしていくかが非常に大切です。

よく例にされるのが、恋愛や結婚についてです。恋愛は、付き合い始めは本当に楽しいですが、やはり2ヶ月たったあたりから、お互いに冷めてくる場面がきます。私も経験していますが、やはり、恋愛で大変なのは恋人を作ることよりもその関係を維持することです。これは、結婚についても同じことが言えるかもしれませんね。

やはり、目標だけでは人生を乗り越えることはとても困難だと思いますね。

2、理念は生きる上での柱なので変わらない

一方で理念は、基本的に達成することがありません。

自分の生きる上での柱だからです。自分は〇〇ということを大事にしています、ということがあれば、そうそう簡単にブレないですね。

目標は、達成した後に、自分の思う通りにいかないことがきます。その時に理念がないと、何か自分にとって辛い状況が立て続けに起きた時に心がぽろっと折れてしまいます。

そうならないためにも、非常に大事なのは理念です。自分は〇〇のために生きている。誰にどんなことを言われようともここだけは絶対に譲れない、という思いがあれば、そう簡単には心が折れないし、現実を受け入れる価値ある行動に移すことができます。

とはいえ、自分の理念と言われてもそうそう簡単に見つけられるものではありません。日本人に場合は、学校でも自分の理念云々より、周りと合わせて協調性が大事という教育が主眼なので理念を持っている人というのは非常に少ないでしょう。

私自身も、理念はと言われても最初は?となっていました。今の理念、自分にとって大事なのは、今という時間と時間を大切にすることです。インターネット、スマホやSNSの発達で今という時間に集中することが非常に困難な時代だからこそ本当に大事な考えだと思います。

なので、自分にとって本当に大事な価値感はなんだろうと常に考えることが大切だと思います。そのためにも、周りの情報や音はできる限りシャットダウンするのがいいと思います。テレビ、PCやスマホの電源を切って一人の時間を作り15分と時間を決めて考えるのが非常に大事です。

3、理念にそって目標を立てる

ここまで読むと大体気づいてると思いますが、目標というのは人生の価値観に沿って立ててこそ意味があるものになるということです。

自分の理念に沿って立てた目標であれば、そう簡単に挫折はしないと思います。それは心から自分が達成したいことであるからこそ、目標を達成するときに阻む障害も乗り越えられる原動力になるはずだからです。

一方で、他人の価値観で押し付けられた目標というのは、やはり乗り気にもならないでしょうし、達成しようとすればするほど、自分の中にわだかまりやストレスが残ってしまいます。普通に考えれば、そうですね。他人の価値観に照らし合わせて作った目標で自分の価値観にそぐわないものなんてやりたいとも思わないでしょうし、苦痛なだけですよね。

しかし、受験や会社の目標は、これが往々にして含まれています。親が、〇〇大学に行けというから受験した、一流の大手企業だから選考に進んだ、など世間や親も価値観に合わせて勝手に目標を決めていることが多いです。会社の目標もそうですね。自分の目標を上司にダメ出しされて、作った目標なんてただの上辺だけの宣言ですね。javaで例えるならインスタンス(実体)のないただのオブジェクト、クラスにすぎません。なんの処理もできません。

なので、目標を立てるのは人生の価値観をある程度決めてからだと思います。もちろん、価値観だって日々変わるものです。その時はその価値観に合わせて目標を修正していけばいいと思います。大体の人は、価値観も曖昧なまま目標を決めているので、だから結局達成できずに自己嫌悪に陥り挫折してしまいます。

価値観→目標を決める。この順序は非常に大切なので、ここだけでもこの記事を読んでいただければ気に留めて欲しいところです。

4、世間について

上の章で世間について書いたので、ここで少し掘り下げて考えたいと思います。

世間というのは一体なんなのでしょう。親や親戚、それとも会社や学校、それともTVやインターネット、SNSなどのメディア?結構抽象的な言葉ですね。

goo辞書で検索して調べました。結果は

《3が原義》                               1 人が集まり、生活している場。自分がそこで日常生活を送っている社会。世の中。また、そこにいる人々。「世間を騒がした事件」「世間がうるさい」「世間を渡る」                                  2 人々との交わり。また、その交わりの範囲。「世間を広げる」       3 仏語。生きもの(衆生 (しゅじょう) 世間)と、それを住まわせる山河大地(器 (き) 世間)、および、生きものと山河大地を構成する要素(五陰 (ごおん) 世間)の総称。                                  4 人の住む空間の広がり。天地の間。あたり一面。            「俄 (にはか) に霧立ち、―もかいくらがりて」〈大鏡・道長下〉        5 僧に対する一般の人。俗人。                     「ある律僧、―になりて子息あまたありけるうち」〈沙石集・三〉       6 社会に対する体面やそれに要する経費。                 「―うちばに構へ、又ある時は、ならぬ事をもするなり」〈浮・永代蔵・四〉  7 この世の生活。財産。暮らし。境涯。(goo辞書 引用)

goo辞書から引用しましたが、大体太字で囲んだことが今一般的に使われている意味ではないでしょうか。

しかし、元々の意味は我々動物や自然などこの世界を構成するもの全てを指すのが原義です。

ということは、世間の目や世間に笑われるなどはそこから派生した狭い意味での世間ということだと考えます。

そもそも私たちが暮らしている地球は、人間以外にも多種多様な動物、生物や植物、また人間が生み出した機械や建物、乗り物、電気など様々なオブジェクトによってなりたっています。

なので、1人の人間から嫌なことを言われたり嫌われたりしたところで、それは、この世界におけるほんの一部の事象に過ぎません。

しかし、今自分の生きている人生は一度切りです。この一度きりの人生を何の考えを持たず、日々言われたことだけを淡々とこなして、過ごしていくか、それとも失敗しつつも様々なことに挑戦していくかは個人の考えの自由だと思います。どちらがいいも悪いもありません。

5、まとめ

以上、価値観の大切さについて書きました。

これまで記事に書いたように、変化の激しい時代だからこそ、自分の生き方の中心となる考えだけは持っている必要があると思います。どんな選択をするにせよ、面倒な問題は起こりますし、今はメディアやインターネットの発達によって非常に判断を迷わせ、私たちを決断麻痺にさせるような仕組みがたくさんあります。そんな中でも重要となるのは、自分の理念だと思います。

あと、心に留めておきたいことは、他人には他人の価値観があり、それは決して侵略できることではないということです。基本的に他人を変えることはできません。いや、できないことはないかもしれませんが、それには多大な労力を要します。

そもそも、自分の感情ですら変えることのできないことだと1番最初に紹介したラスハリスさんの著書では書かれています。嫌い、ムカつく、気分が悪いなどのネガティブな感情は決して変えることができないことです。この感情を無理に変えようとするから鬱になったりすると書いてあります。この考え方を説明すると非常に長くなるので興味のある人は本を読んでみることをお勧めします。非常に生き方を考える上でも参考になる著書だと思います。

さて、話は脱線しましたが、他人の価値観も自分の感情変えることができないのであれば、自分自身にできることはなんでしょうか。それは、現状を受け入れて、自分の将来の役に立つために行動を起こすことだと思います。その行動の源になるのは理念だと思います。自分はこういう人でありたいという価値観が芽生えれば、あとはその価値観に向けて行動を起こし、問題に直面しても立ち直る力を養い、前に進む力だと思います。

この記事が今悩んでいる人や問題に直面している人の参考になれば幸いです。

最後まで読んでいただき本当にありがとうございます。

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