伝えることと理解されないこと
あんたは「わかりにくい」って言われることがあるかい?
誰だって、完璧なコミュニケーションなんてのは出来ないから、自分の伝えようとしていることがうまく伝わらないことってあるじゃんか。
でも「なんでうまく伝わらないんだ?」って思うことはワリカシ日常的な感じもするんだよな。
俺の考え方というか、言語化能力の問題だとすると、ちと問題がでかいよな。
今回は俺自身の伝える力ってやつを眺めてみようって回だ。
まあ、あれだ。
そもそも伝える力が完全じゃないから、一緒に考えてくれよ。
家族に聞いてみた
まずはだ。
一番身近な家族に俺の「わからないところ」ってのを聞いてみた。
息子はこう言った。
「回りくどい」と。
なんでも理由を一つづつ積み上げていくから、答えだけほしいのにそこにいたるまでの思考がおっつかないってことらしい。
ははぁん。そらオッサンの思考プロセスを全部小学生が捉えるってのには無理があるってのはあるかもしれん。
当然小学生の息子が理解できる言葉で話しているつもりにはなっているんだけれど、噛み砕く能力が少ないって面もあるかもしれない。
ただなぁ、噛み砕けば噛み砕くほど、文章量というか言葉の量は増えざるを得ない部分もある。
当たり前だけれど、言葉の量が増えるほど、伝わる情報ってのはどんどん解像度が悪くなっていく。
結果として息子にとっては俺はわかりにくいって状態なわけだ。
なるほどね。
妻にも聞いてみた。
妻いわく「想定の外からの意見が来るので飲み込めない」だそうだ。
俺としてはそんなに奇抜な意見を持ってる気はしていないんだけれど、結婚するまではまるきり生きている世界観が違ったってのは事実としてあるので、考えるジャンルが違うってのはどうしても残っちまうってのはあるんだろうな。
あれ?でも俺は妻の意見に対して想定の外と思ったことはないんだよな。
それは妻が属している業界が俺の母親がいた世界だってのがでかいのかもしれない。
あんたの周りでもシステムエンジニアなんてのがいれば、俺の言葉に特殊性は感じないかもしらんけれど、そんなんじゃなきゃ、俺の言葉ってのは特殊なんだろうな。きっと。
息子の学校の先生と会話してみた
別件だけれども、ちと息子の学校の先生方と会話をする事があったんだよ。
息子が軽く学校で課題を抱えて、その課題について学校側でも課題認識をしているってことなんで、そいつについて会話をした感じ。
そこでね。
俺は「組織として課題の状態認識をするためには定性評価と定数評価をしていく必要がありますよね」って話したわけよ。
そこには組織の上司である副校長先生もいたからね。
でも、なんつーか「ポカーン」って感じだった。
え?
課題に対して、どんな具体的な課題がクラス別にどのくらい起きているかってのを比較することで、クラスごとの傾向が数字で捉えられる定数評価と、課題の傾向を総合的に担当の先生がどう捉えているのかって言う定性評価をまるきりしたこと無いの?
話を聞いているとたぶん、定性評価しかしてない感じだった。
しかも、担当の先生から上がってくるのは「問題ありません」という趣旨の報告だけしか上がってきてないらしい。
俺の感覚というか、経験値からすると「問題ありません」って報告は大問題なんだよな。
だって、ヒトは間違いを犯すことを繰り返して、状況を改善してきているんだから。
その間違いを拾いきれていないってことだろ?
良くなりようが無いじゃんか。
でもその俺の意見はうまく理解されることはなかった。
こいつはひとえに、俺の伝える力の問題ってことなんだよな。
困ったもんだ。
俺自身が斜め上からの指摘を受けたとき
とは言えだ。
俺自身も指摘されたことがうまく昇華できないことも普通にある。
身近なグループリーダの意見を飲み込めないこともあるし、顧客の意図を図りきれないこともある。
各々の立場ってのを俺が経験した範囲で翻訳しきれることが出来ないんだからしょうがないっちゃしょうがないんだけれどね。
でもそれは逆もまた然り。
俺の意見も相手には伝えられていない。
だからこそ、俺は想像をするわけだ。
相手の意図を。
もちろん、ジャストミートでその意見を具現化出来るわけじゃない。
でもさ。
想像していくことは無価値じゃないだろ?
なあ、あんたはどう思う?
理解されない自分と理解できない自分とどう向き合っていこうか?
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