支え合っていたもの
内田裕也さんが亡くなった。樹木希林さんが亡くなってから半年だそうだ。
これを聞いて俺は「後を追うように」ってことなのか。そう思った。
でも、内田裕也さんと樹木希林さんの夫婦関係って相当に特殊なケースだと思う。
一緒に住むこともしない夫婦。自分には想像もできない人間関係だ。
家族と言う関係をほとんど一緒に過ごしていない人と結ぶこと。
それがどういう意味を持つのかも想像することも難しい。
俺の感覚で言えば、それは家族という名の他人になっちまう。
それでも、その他人が亡くなってから半年で内田裕也さんは亡くなった。
今回は、内田裕也さんと樹木希林さんの夫婦関係に思いを馳せつつ、俺たちがなぜ生き続けているのかってのを考えて見る話だ。
生き死にの話だから、ちっと重いかもしれないが、付き合ってくれよな。
一緒に暮らさない夫婦
内田裕也さんと樹木希林さんは1973年に結婚した。
樹木希林さんは再婚だッたということらしい。
ところが1年半で内田裕也さんは家を出て別居した。
1981年には内田裕也さんが、樹木希林さんの同意を得ずに離婚届を提出。
樹木さんは離婚無効の訴訟を起こして勝訴した。
これだけでもすごいよな。なんで樹木希林さんは離婚を認めなかったんだろう?
なにかにしがみつきたかったんだろうか?
内田裕也さんと樹木希林さんは裁判までして夫婦関係を継続することになった。
そのことだけ見れば、何かにしがみつきたかったと樹木希林さんが思っていたようにも思える。
でもさ、多分違うんじゃないかな。
きっと樹木希林さんは内田裕也さんを理解していたんじゃないか?
それが二人の「距離」だってことにさ。
二人のための距離ってものがとても大切だってことは、すべての人間関係において共通のことなんだろう。
その距離感ってのが心地よかったから、40年以上もの間、二人の夫婦関係は続いたんじゃなかろうか。
内田裕也さんを支えたもの
ロッケンロール。内田裕也さんを示す代名詞だよな。
ロッケンロールが何を意味するのか。
ウィキペディアによればこうある。
語源については、古くからアメリカ英語の黒人スラングで「性交」及び「交合」の意味もあり、1950年代はじめには「バカ騒ぎ」や「ダンス」という意味もあった。
内田裕也さんはバカ騒ぎをしていたかったんだろうか?
そうかもしれない。少なくとも、内田裕也さんは内田裕也さんとして生き続けることを選んだ。
そしてそれを理解できたのは樹木希林さんだけだったのかもしれない。
その理解こそ内田裕也さんを支えていたものなんじゃないか?
だから、その支えをなくした内田裕也さんは半年しか生きながらえることが出来なかった。
そうなんじゃないか?
俺はそう思ったんだよ。
人は誰かに支えられて始めて生きていられる。内田裕也さんと樹木希林さんという唯一無二の存在。
互いがそれを支えに生きていたっていうなら、それはステキなことだと俺は思うんだ。
なあ、あんたは誰を支えている?
あんたは誰に支えられている?
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