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誰のための良識か
あんたは良識って言葉についてどんな印象がある?
良識であって、正義じゃないのがポイントね。
なんでそんなことを書き始めたのかって言うと、やひろさんのこの記事を読ませてもらったんだよ。
曰く、良識と言うものを持っていると判断されたヒトほど、社会的な行動の裁量を与えられるってことと読み取ったんだ。
たしかにそうだよなぁって思って読んだんだ。
小学生より中学生。
中学生より高校生。
高校生より大学生。
大学生より社会人。
裁量を与えられて「自分で判断する」事が多くなるってのはあんたも経験しているだろ?
※やひろさんは社会人になってからの話を書いてくれているから読んでくれよな。
そこでふと考える。
良識ってどうやって手に入れるもんなんだ?
今回は良識について考えてみる回だ。
ちっと、この答えが無い思考の散歩に付き合ってくれよな。
良識を分解する
良識ってのは文字通り「良い知識」ってことだよな。
良いってのが曲者だけれど、知識のことを指しているわけだ。
つまり知恵じゃなく知識。
純粋な情報ってわけだ。
さて、そこで問題になってくるのが「良い」だ。
良い情報ってなんだ?
なんとなく自分の感覚を探ってみると、この良いってのは「何にとって」ってのがキモなんだと思ったんだ。
例えば「自分にとって」良い情報。
どこかの企業の業績が良くなりそうだ。
だったらそこの株を買っておこう。
そんな感じの情報。
これは確かに「良い情報」だとは思う。
ただ、これだとそのヒトに裁量を与えたほうが良いって感じにはつながらない感じがするわな。
例えば「仲間にとって」良い情報。
今の仕事をこなすためにAIを駆使すればこんな事が出来る。
そんな感じの情報。
これも「良い情報」だよな。
これはその情報を持っているヒトに裁量を与えて効率が上がるって気持ちになる気がする。
仲間内の中での話だけれどね。
例えば「世界にとって」良い情報。
どこそこの国とどこそこの国が戦争をしているけれど、お互いの国のトップの合意できる価値観がなんだとか、そういう情報。
これも「良い情報」だと思う。
この情報を持っているヒトは文字通り世界を動かす可能性がある。
なので、そのヒトの裁量を増やすことで世界が救われるかも知れない。
こう考えるとさ。
「良識」が誰にとって良いものなのかってのが広がる程に裁量の範囲が広がっていくってのがアリそうだよな。
良識を持っているヒト
じゃあ、自分の周りにいるヒトを眺めて、この良識ってのをどの範囲のヒトにとって「良い」と考えているのかを想像してみる。
まずは自分。
自分はどの範囲のヒトに「良い」という価値を享受してもらいたいのか。
家族。親戚。若者。価値観を共有できるヒト。
そんなところか。
いや、自分の考えがたまたま社会一般に通じることもあるとは思うけれど、たぶん俺はそんな風に自分の考え方を拡大出来ない。
基本世界が狭いってわけだ。
次は家族。
妻も息子も自分の周りにある狭い世界で生活している。
しかも、話を聞いている限り、その狭い世界のヒトたちに「良い」という価値観を共有したいと思っていない様な感じになっている気がする。
もうやだ。
そんな感覚が家族を支配している気がする。
それでも妻も息子も俺たち家族の幸せみたいなものを望んでいると思う。
なんだろう?
究極的には「個」にとって「良い」何かを見つけたいってことなんだろうか。
次は仕事仲間。
仕事である以上は目標があるわけだから、その目標に向かって何をするべきかってのを考え続けているわけじゃん。
そのために組織力を使う必要があるわけだ。
そのために良識ってやつを共有していく必要があると思うんだ。
俺の知る限り、もっとも尊敬出来る先輩は自分の良識に俺たちを「巻き込んでいった」んだよな。
つまり「良い」の範囲を強制的に広げていったわけだ。
結果として、その「良い」は仲間の中で醸成されて、お互いを高め合う状況が産まれた。
そうか。
良識ってのは誰かと共にある覚悟を持つことで力を持つってことなのかも知れないな。
なあ、あんたはどう思う?
あんたの良識は誰に何を与えている?
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