政治家に国民が求めるもの
あんたも「死刑のハンコ」発言のニュース眺めているかい?
ぶっちゃけ、俺の感覚だとなんも問題ない発言だと思うんだよね。
それに対して岸田文雄総理大臣は「説明責任を果たしてもらわなければならない」と言っていた。
……なんの説明?
結果としては事実上の更迭をされることになった葉梨さん。
これさあ。
マジで言葉狩りって話じゃないか?
今回はこの葉梨さんの発言について思ったことを記録していこうって回だ。
ちっと俺たちは政治家に何を求めているのか整理しておこうぜ。
葉梨さんの発言
まずは葉梨さんが具体的になんて言ったのかってところからだよな。
これさぁ。
なんか間違ってるか?
そもそも法務大臣ってなんの仕事してんのってあんたは語れるかい?
ぶっちゃけ俺としては葉梨さんの発言通り死刑執行の了承をする役割くらいのイメージしかなかった。
一応調べてみると海外のヒトの在留許可を出したり、国が訴えられたときの矢面に立つとか、いろんな役割も担っているらしい。
でもなあ、それを聞いても「左様でございますか」ってなもんで、特に何も思うところは無い。
やっぱり、「死刑」って単語が持つ重さが飛び抜けている印象なんだよな。
刑事訴訟法の第475条2項によって、死刑が確定したら6か月以内に死刑を執行しなければならないってなっている。
その執行タイミングを法務大臣は担っているってわけだ。
ところが、歴代の法務大臣はこの法律をことごとく破ってきている。
在任期間中に死刑執行のハンコを押さなかった法務大臣なんて結構いるって話も聞く。
法律を司る行政のトップである法務大臣がだ。
それこそ問題にしないといけないのに、死刑のハンコを押したときだけ注目されるって発言を問題視するってどういう了見なんだろう?
「死刑」を軽んじるなという話なのか
実際、死刑という制度については結構な課題がある。
いくら裁判という仕組みで吟味を重ねた上での判断とは言え、100%完全に間違っていないってことは断言する方法がない。
つまり間違って命を奪う可能性がある制度だ。
そして、仮に本当に死刑に値するような罪を犯したヒトであっても、国という共同体がその構成員たる国民の命を合法的に奪うってことがあって良いのかって議論もある。
確かに過去の猟奇的とも言える犯罪に対してくだされた死刑判決を見ると、仕方のないことなんだろうって思ったりもするけれどね。
そんだけ色んな意見がまとわりつく「死刑」という言葉。
その言葉を法務大臣が地味だという文脈で使うとは何事かって話なのか?
これ、ホント。
言葉狩りだよな。
要するに葉梨さんが言いたかったのって、「法務大臣は地味な役回りだけれどがんばってますよ」ってことなんでしょ?
それなら普通に「お役目ご苦労さまです」で終わりじゃんか。
政治家が言葉狩りをするデメリット
何より俺がマズイって思うのが、この発言を他の政治家が追求しているところなんだよな。
そうじゃねぇだろって。
そんな事に時間を使うなって。
ぶっちゃけ、俺の感覚ではモリカケにしても統一教会にしてもそんなことは警察庁にまかせておけば良い話だ。
立法府の議員さんはその法律なり条例なりがどれだけの国民を救うことが出来るのか、どれだけの国民に負担を強いることになるのか、という具体的なエヴィデンスをもとに議論することに集中してもらいたいんだよな。
例えば、その議案が統一教会の意見で作られたものだとしても、その議案の実効性がどんだけあるのかだけを考えてほしいんだよな。
何?犯罪者の作った法案なんか信用できるかって?
法律ってのは文章だ。
法律が施行された暁には、その文章を作ったヒトの意図なんてのは関係しないで純粋に文章として解釈される。
その文章がどう運用されるかってことを視野に入れつつ、適正なものかを判断するのが俺たちが選んだ政治家がやる仕事だろ?
その結果がおかしなことになったとしたら、俺たち有権者の責任だ。
何にしても今回の発言によって大臣を更迭するなんて非効率なことを繰り返してたら、政治・行政のリソースが無駄遣いされ続けることになる。
それだけは絶対に駄目なんだと思うんだ。
なあ、あんたはどう思う?
政治家が本来の仕事よりも政治家同士の足の引っ張りあいをしているのを国民が支持しているという状況について思うところはあるかい?
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