無料コンテンツの楽しみ方

あんたも無料コンテンツを楽しんでいるかい?

俺たちが過ごす世界には数限りない無料コンテンツが溢れている。
マンガならまるまる1冊無料で読めますよ~なんてマーケティングは普通のことになってきている。

その状況は俺たちの感覚をアップデートしているって状況もあるような気がする。
コンテンツを楽しむきっかけとして「無料」ってって入口を用意されることが俺たちにとって普通になってきているもんな。

今回は、この無料コンテンツって媒体について考えてみる回だ。

ちっと提供する側の戦略ってやつを考えてみようぜ。

無料コンテンツに対する不満

今回、無料コンテンツってものについて考えてみようってきっかけをくれたnoteがあるんだ。

野良ニャン子さんのnoteなんだけれども、なんつーかストレートに違和感を表現しているnoteだなぁって思ったんだ。
こう言う感覚をそのまま言葉にしたような文章って嫌いじゃないんだよね。

表現に裏表が全く感じられない。
これって結構レアなことだと思うんだよ。

ざっくり要約すると「無料で楽しませてもらっているのに文句言うなよ」ってことなんだろうな。

その感覚は共感しつつ、キャッシュポイントをずらすFREE戦略ってのが背景にあるってのもオッサンの俺としては感じてしまう。

とは言え、そんな戦略と消費者としての俺たちが無料コンテンツに対して不満を拡散しちまうって精神性とは全く関係がない。

野良ニャン子さんが言っているのは無料コンテンツを蔑む精神性が美しくないってことだと思うんだ。

コンテンツの提供方法に対する不満

無料コンテンツって言うと、ネットが一般化した後の話って思うかもしれないけれど、オッサンである俺ですら無料コンテンツってやつをガキンチョの頃から楽しんでいたって事実がある。

テレビでのコンテンツ鑑賞なんてインターネットがどうのこうののはるか昔から一般化していたしね。

金曜ロードショーの録画したビデオを文字通り擦り切れるまで見返したもんだ。

で、そこで表現されていたコマーシャルも今となってはいい思い出の一つだ。
その時代にそったコマーシャルってそれそのものがコンテンツみたいなもんだもんな。

で、現代。
インターネットの出現によってコンテンツの多様性は一気に膨れ上がった。
それは消費者として、コンテンツの取捨選択を余儀なくされるという現実を持ってくる話になってくる。

そうなると、俺たちはコンテンツを取捨選択することを含めて、俺たちの可処分時間を消費する必要性に迫られる。
そうなんだよな。広告に時間を割く意味ってのが俺らがガキンチョの頃とは違う様なっているってわけだ。

広告を伴わない無料コンテンツ

そんな中で、広告を伴わない無料コンテンツってやつも出てきている。

例えばわかりやすいところで行けば「えんとつ町のプペル」の全文公開なんてのがそれにあたるよね。

絵本の中身をまるごとネットで見られますよ~ってやつだ。

こいつは絵本ってメディアが持っている特徴を踏まえた上でのFREE戦略になる。
つまり、絵本ってのは「中身が理解されているほど売れる」って結構珍しいメディアだからなんだよね。

だってさ、絵本を選ぶヒトって誰だと思う?
子どもじゃないんだよ。
親だったり祖父母だったりが子どもに買ってあげるって商品なわけだ。

子どもへのプレゼントなんだから、そのプレゼントの中身が面白いって言う信用が不可欠になる。
なので、絵本は「昔自分が読んだ絵本」を子どもにも買い与えるわけだ。

絵本って他の本と違って何十年も同じ本が売れ続けるってのはそう言うからくりなんだよね。

逆に言うと新作絵本ってのは非常に間口が狭い。
そこで、えんとつ町のプペルという絵本を知ってもらうために、中身を全部公開するって戦略をとっているわけだね。

で、上記サイトは全く広告がない。
その意味では俺たちの可処分時間を消費することがない。

なぜか?
コンテンツそのものが広告だからなんだよな。

実際、この絵本を楽しめたヒトは映画のえんとつ町のプペルを見たり、DVDやらBlu-rayやらでお金を落としているんだと思うわけだ。

まあ、あの映画そのものについては「いかがなものか」感が否めないんだけれどさ。

なあ、あんたはどう思う?

俺たちは無料コンテンツの公開の背景まで含めてコンテンツを楽しんでいけると思うかい?

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