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世代の違いと未来と

あんたは自分の世代ってやつについて考えたことがあるかい?

団塊の世代。ロスジェネ世代。ゆとり世代。

俺たちの周りにはいくつもの世代が生きてきた。

この世代間の違いってやつは、実に俺たちが生き抜いてきている時代の背景ってやつを表してくれている。

なあ、考えても見ろよ。
俺たちの親の世代と俺たち自身の働き方ですらものすごい劇的な違いがある。

そして、俺たちの親の世代とそのまた親の世代にも劇的な違いがある。

今回は各々の世代が担ってきている状況を振り返りながら、これからの世代について想像してみようって回だ。

まあ、うまくいくかはわからんけれども、一緒に考えてみようぜ。

俺たちの親の世代

俺たちの親の世代は団塊の世代かその上の世代とされる焼け野原世代って言われているらしい。

太平洋戦争が終わったくらいに生まれて文字通り焼け野原になった日本を復興させてきた世代ってわけだ。

俺たちが子どものころに眺めていた親たちの働きっぷりは今の感覚からすると異常以外の何物でもない。

俺の父親のケースでいけば、一年間に休みが五日もなかった。
土日含めてね?
今で行けば明らかな労働基準法違反ってやつだ。

しかも朝早くから夜遅くまで働き通しなので、子どもの頃の父親の印象は家にいるときは寝ているヒトって感じだった。

ブラック企業とか言われるけれども、その時代はブラックな働き方をすることが普通だったんだ。
それほど世の中に働くニーズにあふれかえっていた時代って事だったんだと思う。

この世代のヒトが今の日本を作り上げていったってのは事実としてあると思うんだよね。

俺たちの祖父母の世代

さらにその上の世代となると更に壮絶だ。

リアルに日本を物理的に守ってきた世代って言っていいだろう。
戦争を経験している世代だ。

俺の父方の祖父はリアルに戦争に行っていたし、母方の祖父母は満州に行っていた。

父方の祖父は早くに亡くなってしまったので、詳しい話を聞くことはできなかったけれども、研究者だった祖父はそのキャリアとは関係ない戦いに巻き込まれていったってことなんだと聞いている。

母方の祖父は結構長生きしてくれていたので満州での経験をワリカシ詳細に話しとして残してくれた。

中でも現地のヒトたちにどうやって認められたかって話は印象深い。
一生懸命現地のヒトたちとやり取りして、認められた結果として祖父はタバコをもらったんだそうだ。

それが現地のヒトにとっての最大限の賛辞だってことだって俺は聞いたんだ。

何ていうかさ。
ホント、想像もできない世界観で生きてきたわけなんだよな。

俺の世代

で、俺の世代はと言うといわゆるロスジェネ世代ってやつになる。

生まれたときから周りにライバルばっか。
学校に出れば受験戦争。
社会に出れば就職氷河期。
常に何かと競争する世代って感じだな。

しかもバブルのような働くことの達成感を得られるような状況もそれほどない。
ただただもがき苦しんできた印象が強いんだ。

でもさ。
俺たちの親や祖父母の世代に比べたら甘々だって認識はものすごいある。

いや辛ければ偉いのかって言われたら、まあ違うとは思うんだが、努力の絶対量が全然少ないと思うんだ。

俺たちの世代は努力ではなくて工夫を求められた。
その結果として、チャンスを掴めたものは昇りつめ、チャンスをつかめなかったものは惨めなことになる世界になった。

貧富の格差ってやつだ。

加えて、世の中に流通する情報量がえげつないくらいに増えた。
多分だけれども、俺たちの親の世代に比べたら処理している情報の量が10倍ではきかないくらいに増加していると思うんだ。

しかもその流通情報量は指数関数的に増加し続けていいる。

こう考えると、俺たちの世代と親の世代。さらには祖父母の世代でこんだけ生き方が変わっているって事実は結構衝撃的なんだよな。

ならさ。
子どもたちの世代はどうなるんだ?

流通情報量は間違いなく増え続ける。
そして、その情報を処理するためにAIが活用されるのも間違いないだろう。
つまりだよ。
子どもたちの世代は自分で判断するよりも、効率的な判断を取捨選択したものが生き残る世代ってことになるんだろうか?

いや、そもそもヒトは情報の取捨選択をする選択肢を持つことが出来るのか?

なあ、あんたはどう思う?

俺たちに親や祖父母が与えてくれたような教訓を子どもたちに与えるために俺たちは何が出来るんだろう?

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