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悲劇と悪者と俺たちと

あんたは何かを否定する発信に対して、疑問を持つことってあるかい?

たまたまこんな記事を読んだんだよね。

うずらの卵で窒息してしまったってニュースはちっと前に聞いたんだけれども、それに対して「ちゃんと噛んで食べるように教えないといけない」って鈴木紗理奈さんはコメントしたらしいんだよね。

俺は「なるほど。噛むってことを教えることも大事だよな」って思ったんだけれども、上の記事ではこんなふうに評価している。

まるで「よく噛まなかった子供が悪い」という印象操作のようだ。亡くなった小学生の遺族や同じ学校に通う保護者がこの番組を見ていなかったことを祈るばかりである。

出典:上記記事

ん?鈴木紗理奈さんは子どもが「悪い」ことを指摘していないよな。
「気をつけるポイント」について話しただけだべ?

その言葉を切り取って「勘違いご意見番」なんてタイトルつけるの?

今回は何かに対する評論について考えてみる回だ。

ちっと俺たち自身の発信についても考えてみようぜ。


何かが悪いと言う発信

いわゆる商業誌、もしくはタブロイド紙と呼ばれる類の雑誌の発信ってのは「目を引いてなんぼ」のところがあるとは思う。
良いか悪いかとかはおいておいて、「誰かをやっつける」って情報がヒトの目を引くってのは現実としてあると思う。

だからこそ、芸能人のスキャンダルの情報は流れ続けるし、上の記事みたいに揚げ足をとるような書き方になるってのも、まあ仕方ない部分はあるような気もする。

何しろ、俺たち大衆がその揚げ足をとることを望んじまっているって現実があるんだからね。

俺のこのnote自体が「あの記事の表現はどうなんだ?」っていう揚げ足取りなものなんだもんな。

それを言われたらぐうの音も出ないんだけれどさ、そういう「言葉狩り」ってあんまし何かを生み出すってことが起きにくいんじゃないかって想像したんだよね。

鈴木紗理奈さんは何と言えば良かったのか

俺としては鈴木紗理奈さんに思い入れとかはあんましないんだけれど、今回のコメント自体には違和感を感じなかったんだよね。

むしろ「噛もうよ」って教育の必要性を訴えてくれていたと思う。
俺があんまり噛まないでものを食べる癖がついちまっているのもあるから余計に「そうだよなあ」って思うのもあるのかもしれないけれどさ。

でさ。
この記事を書いてくれた御仁にとって、鈴木紗理奈さんは何てコメントをすれば良かったんだって考えるわけよ。

「うずらのたまごは危険な食物だから世の中から消しましょう」か?

それこそ、うずらのたまごの生産者のことを考えていないコメントってならないか?
食の多様性を確保するってのは、健康の意味合いでも、人生の奥行きを作るためにもめっちゃ重要なことだと思うんだよな。

記事では給食の調理方法に指針が設けられていて、それが正確に守られていないことが問題だと書いてくれている。
具体的には食物を何センチ以下に切りましょうって感じのやつね。

ただなあ。あくまで指針であってルールじゃないんだよな。

幼稚園で誤嚥の可能性があるからって言って細かく切っていないうずらのたまごを子どもたちに食べさせないのが正解なのか?
おかしくね?

そんなこと言ったら、味覚が確定するって言われる幼少期に細かく切り刻まれたものしか食べさせられなくなっちまうじゃんか。

そんなことしたら、食文化ってどうなっちまうんだ?
焼き魚すら食べられなくなっちまうんじゃないか?

「悪者」ではない何か

言いたいのはさ。

鈴木紗理奈さんとかこの記者さんとかさ。
誰かを悪者にしても前に進まないんじゃないかってことね。

何が問題で、今後どうすれば良いのか。
それを考えることだと思うんだ。

その意味では今回の鈴木紗理奈さんのコメントは全く違和感がなかったんだよね。

噛むっていう具体的な手段を提案しているわけだし。

そして、上の記事でも給食において、調理方法において指針が作られていると言うことを書いてくれている。

そして、その指針について俺を含めた多くのヒトは内容を把握していないっていう事実もあると思う。

だったらさ。
俺たちは今回の悲劇に対してだ。

何が起きたのか。
何をすれば良いのか。
何が出来ているのか。

それを考えていくことが必要になる気がするんだよな。

なあ、あんたはどう思う?

悲劇が起きたときに、俺たちは何をするべきなんだろう?

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