はじめに・「新世界」を読む
ようこそ「新世界」の世界へ。
この記事はお笑いコンビキングコングの西野亮廣さんの著書「新世界」をその章立てごとに読み解くことで、より「新世界」という作品をあんたに楽しんでもらうための記事だ。
今回は記念すべき1回目。「はじめに」の章を読み解いていこう。
※100円設定してますが、全文無料で読めます。
目次はこちらね。
キングコングという「エリート」
まず、このはじめにを読んでみたあんた。どんな印象を持った?
俺の第一印象は、キングコングって売れていたんだなぁってやつだった。
自分としては、お笑いコンビキングコングって売れているけど、印象があんまり残っていないってのが正直な感想だった。まあ、俺が仕事に追われてテレビなんて見てる余裕がなかったせいかもしれないけどな。
でも、この章を読んで、初めてその売れ方の異常さってやつに心を持っていかれた。
1999年にNSC22期生として出会い、9月にキングコングを結成したかと思えば、翌2000年3月には第30回NHK上方漫才コンテスト最優秀賞を受賞している。
これは史上初の快挙ってことらしい。
翌2001年には「はねるのトびら」が深夜枠で開始されている。
つまり、キングコングの二人はお笑い芸人としての下積みをほとんど積めていない状態でいきなり最前線に立ち続けたってことらしい。
はねるのトびらの放送開始時点で20歳。つまり、高校卒業して間もなくキングコングの二人は現場の最前線で活躍し始めているってわけだ。
これが普通の会社だったら、「生きのいい奴らが出てきた」くらいでいいのかもしれない。
でもそこは芸能界。
先輩からのフォローも、アドバイスもなしにいきなりその先輩方と「同格」の期待をされてしまう世界。
「エリートのワリに面白くないね」
「司会が下手くそ」
散々、言われたな。
ちょっとまってくれよ、昨日まで高校生だぜ。
出展:新世界
あんたも働いているなら、この厳しさってやつがすんなり想像できるんじゃないか?
なんの実績も自信もなく、ただ期待値だけが上がっている状態。
その上がりきった期待値に対して若者が出来るのはひたすら真摯に仕事に向き合うことだけだった。
でも、その真摯さが若者たちを傷つけていく。
そして、ついに一人の若者が壊れてしまった。
キングコングであり続けるという選択
上がりきった期待値に対抗するために、ひたすらに仕事をこなし、同時に新しいネタ作りをし、寝る間を惜しんでネタ合わせをする二人。
それでも期待値に答えることが出来ない。
組織としてのバックアップも無い。
そんな状況に俺たちが追い込まれたらどうなるか。
答えは一つしか無いのかもしれない。
そしてその答えは残酷なまでに現実化してしまう。
梶原雄太さんが、壊れてしまった。
次第に、まともに会話ができなくなっちゃって、ついに全ての仕事を投げ捨て、失踪した。
出展:新世界
これは梶原雄太さんの弱さゆえなのか?
断じて否だ。
これは梶原雄太という人物が周囲の期待ってやつを正確に捉え、現状の自分たちとのギャップを真正面から捉えた結果だ。
ただ、そのギャップを埋める方法を思いつけるほどの経験値が彼らに備わっていなかっただけの話だ。
通常の会社組織であれば、その経験不足を組織としてフォローアップすることになる。
でないと会社全体の利益がでなくなっちまうからな。
ところが、芸能界はあくまで個人。
個人のつながりの中に解決策を見出すしかない。
ところが、高校を出ていきなり売れた彼らには、その人とのつながりが無い。
彼らになかったもの。それが他者からの「信用」だったってことだ。
二人が出した結論がキングコングの無期限活動休止。
というよりも、それしか選択肢が残されていなかったってことなんだろう。
梶原雄太さんは外界との接触をすべて断った。
そして、西野亮廣さんは梶原雄太さんを待った。
一人で活動をするという選択肢を西野さんは取らなかった。
なぜか?
それは西野さんがその時点で唯一持っていた「信用」を守るためだったんじゃないだろうか?
相方、梶原雄太さんの「信用」を。
梶原雄太さんからの「信用」を守り、梶原雄太さんへの「信用」を大切にし、ついに梶原雄太さんは復活する。
二人がまず最初にしたのは他者への「信用」を回復することだった。
次の日、キングコングの活動が再開した。
まずはご迷惑をおかけした隠し事先への謝罪行脚。
出展:新世界
しっかりとご迷惑をおかけしたことに向き合って、非を認める。
あたりまえだって言えばその通りかもしれない。
でも、その選択は彼らを救ったに違いない。
彼らに最も必要だったのが「信用」だったんだからな。
キングコングであり続けること。
それは二人が「信用」を一番根っこに据える覚悟を決めることだったんだな。
売れっ子芸人から見えた景色
「信用」を獲得し、一つひとつの仕事を丁寧にこなした結果、二人は売れっ子芸人という立場に立つことが出来た。
だが、そこから見える景色は、かつて夢見た景色とは異なっていた。
その山を登れば景色が広がるものだと信じて、誰よりも努力をして登ってみた。
だけど、そこから見えた景色は、タモリさんや、たけしサンや、さんまサン、ダウンタウンさん、ナインティナインさん…といった先輩方の背中だった。
出展:新世界
これはどういうことなのか?
そこにあるのは「作り上げられたエンタメの線路であがく限界」だったってことだろう。
先輩方が作り上げてきたオモシロの延長では、先輩方を追い抜くことが出来ないってわけだ。
これは俺たちのような一般人にも当てはまることなんだろうか?
実のところ、これは当てはまる部分が大きい。というより、昨今の状況がこの「事例の延長では突き抜けられない」という現実を作り上げようとしている。
その状況とは何か?
それは、AIの台頭による単純労働の淘汰って状況だ。
単純に決められたことをこなすだけの仕事はどんどん減っていく。これからは仕事を作り出せる能力が必要な時代になってくる。
そのためには仕事の計画立案を出来るようになることが望まれる。
計画立案は事例を踏まえた上での工夫を常にしていく必要がある。常に自分を疑って、自分を高めていくことが望まれる。
キングコングの二人がぶつかった壁は、俺たちのすぐそこにまで来ているってことだ。
西野亮廣さんは、その工夫の余地を芸能界の外に求めた。
そして、そこにあったのはいかにも日本人らしい反応だった。
外に出るものへの違和感
自分も含めてになるが、俺たちはどうしても異物に対して排斥したいという感情を持ってしまう。
なぜか?
それは現状維持バイアスってやつだ。
現状維持バイアスってのは変化よりも現状イチを望むっていう心理作用のことなんだが、俺たちには多かれ少なかれこの心理作用がある。
この変化を恐れる心理作用は時として変化するものへの攻撃という形で現れちまうことがある。
つまり「おまい、なに変わろうとしてんのよ。俺の居心地のいいここを脅かすんじゃねぇよ、ボケ」ってことだな。
西野亮廣さんは、お笑い芸人の世界にとってその「異物」そのものだった。
大量のタレントや芸人を効率的に活用する方法として確立している「ひな壇」を拒んだってのが一番目立っていた。
西野亮廣さんのケースでは、この「異物」としての違和感が半端なかった。それほど、ひな壇っていうシステムは実績を積んでいたし、業界での信頼感ってのがあったんだろう。
そこに出ないという選択は、そのシステムを信頼している人にとっては「自らを否定された」と感じるのに十分だった。
人は攻撃されたと思うと反撃をするものだ。
オッサンにもなれば、その反撃を巧妙にわからないようにしたりして工夫はするもんだが、実態としてはその反撃は確実に実施されている。
そして、その矛先は西野亮廣さん本人ばかりか、そのファンやスタッフの皆さんにまで及んでしまっていた。
「お前、キングコング西野のことなんか応援してんの?」
ボクのファンやスタッフは、毎日、そんな言葉を浴びていた。
彼らには、謝っても謝りきれないほど、ずいぶん肩身の狭い思いをさせてしまった。
原因はわかっている。
ボクが弱かったからだ。
出展:新世界
このときの西野亮廣さんの悔しさは想像に難くない。
自分が夢見た景色は、今までの努力の先にはない。
自分の夢見た景色は、どこにあるのかはわからない。だから一歩踏み出すしかなかった。
その結果としての「反撃」。しかも自分は誰も攻撃なんてしていない。ただ一方的な「反撃」。
西野亮廣さんは、自分とファンや仲間たちを「反撃」から守る必要があった。
そう、西野亮廣さんは強くならなければならなかった。
この新世界という作品は、その西野亮廣さんが強くなるための方法を綴った本だ。
強くなる必要のある、あんたに向けて。
そこから一歩踏み出す方法を教えるよ。
一緒に勉強しよう。
大丈夫、いけるよ。
出展:新世界
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