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ヒトならざるものが作り上げる世界

あんたは2023年が過ぎ去ろうとしているのをどんな思いで過ごしている?

実際、実に多くの変化ってのが今年も俺たちの周りで起き続けていたと思うけれど、一番印象に残っていることって言ったら、あんたなら何を挙げる?

いろいろとあるとは思うんだけれど、たぶん一番はchatGPTをはじめとするAIを用いた仕組みが非常に多く表れたってことだと思うんだよな。

最初の頃こそ、おめえ何言ってんだ?ってような全然的外れな答えが返ってくるような感じだったけれど、どんどんそれらしい答えが返ってくるようになってきているように見える。

後発の同じようなサービスも解析済みデータを増やしていっているのもあるのかもしれないけれど、「それっぽさ」がどんどん増している気がするよな。

今回はAIを使ったサービスが生活に浸透し続けた先の世界を想像してみる回だ。

まあ、たまにはなんも考えないで妄想に浸ってみようぜ。


俺たちが望んでいる「何か」

まずもって想像したくなるのはエンタメはどうなっていくのかってことだよな。

多分だけれど、ここnoteでもAIのアシストを受けて記事を作っているヒトもいっぱいいると思う。
まるまんまAIの提案してきている文章を採用するには、もうちっと進化が求められそうだけれども、何かをクリアすればエンタメとして十分に成立する何かになりそうだよな。

さて、その「何か」ってのはなんなんだろう?

表現できる範囲を広げるってのがまず最初に思いつく。
例えば文章だけじゃなく画像もAIがこさえるようになって、それを用いた作品ってのも普通に目に付くようになってきている。

おそらくそれが動画にまで発展して、そのサービスが一般化するのもそう遠い未来とも思えない。

例えば、Vtuberみたいなインタフェイスの動画から始まって、ぱっと見では見分けがつかないような「ヒト」の映像をAIが作り上げるような世界観。

YouTubeの動画の人気コンテンツがAIによる作品で埋め尽くされるような世界観。

事の良し悪しはおいておいて、そういう状況は遅かれ早かれ来るんだろう。

でもそういう技術的な表現範囲ってのが「何か」の本質なんだろうか?

何か別のものをイメージしている俺がいるんだよな。

「ヒト」らしさとは

まあ、一言で言えば「ヒトらしさ」ってことなんだけれど、これが何によって成立しているのかってのは、ある意味宗教の領域の話にも思えるよな。

それこそAIの黎明期からあるテスト方法にチューリングテストってのがある。

AIとヒトが実際に会話してみてその会話したヒトが相手をAIと見抜けるかってテストらしい。

これは結果論としては効果的な方法と言えるかもしれないけれど、その本質を分かったうえでのテストじゃないから、どうしても「ヒト」の力を経由せざるを得ない。
つまり機械学習を通じて全自動でAIが育っていく手段としてはあまり適切じゃないんだよな。

じゃあ、その本質ってのはなんなんだろう?

まあ、ぶっちゃけそんなんが分かってたら俺はもうちっとどうになっているってことなんだろう。

なので本質じゃなく、結果だけを見て「これだったらヒトと変わりない」って俺が思えるために必要な要素ってのが何かを考えてみる。

多分、自分の想像を超えた受け答えってことなんだと思う。

その想像を超える方法は実に様々だ。
思いもかけないタイミングで求める何かを声掛けしてくれるAI。
世の中のトレンドを分析して、季節に応じたファッションをAIが解析してサブスクでアイテムを届けてくれるようなサービス。
普段からしている仕事をほかの業種の仕事の進め方を参考にして改善提案をしてくるAI。

今だって俺が知らないだけで、俺の想像を超えたAIの活用ってのが進んでいるって話もあるじゃん。
ちっと調べたら農業でもAIを用いた製品が実用化されているみたいなこともあるらしいな。

そう考えると、すでに俺たちはAIが生活の一部に取り込まれた世界に浸かっているってわけだ。

さあ、あんたはどうする?

どうやら俺たちはすでにヒトの発想を超えた何かを生み出す仕組みがこさえる世界の戸口に立たされているらしいぞ。

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