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[小説][バラッド]-序章-②

歌えないオッサンのバラッド
-序章-②

ドアの戸口に立っていたその女性は、きっとベースは美人の類なんだろうけれど、どこか疲れて、なんというか存在感が薄れている感じを受けた。
文字通り透き通ってるんじゃないか?ってくらいに。

パッと見の存在感の薄さに気を取られて最初は気が付かなかったが、結構若いヒトみたいだ。

いやぁ、最近は若いヒトがスナックを利用するなんてのが普通にあることだとは聞いていたけれど、一人でぽつんとスナックに足を運ぶってのは、ちと普通ではないとも思う。

時刻は21時を回った所。
まあ、門限がある年齢でもあるまい。

「いらっしゃい。やっているわよ。どうぞスキな所に座ってちょうだいね」

ママが柔らかな声で女性に声を掛ける。
表情は、笑っているとも悲しんでいるともわからないような微笑みをたたえている。
アルカイックスマイルってああいうのを言うんだろうな。


女性の表情

「で、田中さんよ。今日はなにがあったってぇのよ?」
入ってきた女性のことは置いておいて、タカさんは俺に言葉を向けてきた。
あ、田中ってのは俺のことね。

一見、豪快に無神経な男に見えて、その実結構繊細な心配りが出来るやつなんだよな。

いきなり、しょぼくれている初対面の女性に声を掛けるなんていう野暮なことはしないやつだ。

たぶん、タカさんの作戦は俺の日常の失敗談を笑い飛ばすことで、「明日への一歩」ってのを俺に与えようとしたんだと思う。
しかも、それを意識してやっているわけじゃない。

息をするように自然に「元気」ってのを周りに撒き散らす感じ。

そんなに長い付き合いじゃないんだけれど、タカさんの思いってのは何となく想像がつくんだ。
こいつが馬が合うってやつなんだろうな。

で、当然俺はタカさんの作戦に乗っかることにする。

「いやあ、今日はまいったよ。
発注していたシステムの機能の中で要件が漏れていたのが今日になって分かってさ。
これ以上予算を増やす事も出来ないし、かといって、その機能要件が盛り込まれないと、今より現場の仕事が増えることになる。
とりあえず、その業務部分はExcelで簡単なシステムを顧客側で作ってもらって、それでなんとか今の現場を回していこうみたいになったんだけれどね。
そのExcelとの結合テストを考えると今から頭が痛いよ、トホホ」

まあ、言っていることはホントの事なんだけれど、我ながら最後のトホホの表情は三文芝居という言葉がその表現のために合ったんじゃないかって思えるくらいひどかったと思う。

「あいかわらず、田中さんの言うことはよく分かんねぇけどよ」
タカさんがニヤリと表情を浮かべる。
「男、田中はそんなのも笑ってなんとかしちまうんだろ?」
そう言って、ガハハ!とまた豪快な笑い声を立てる。

「そんな日のよるにバーボンとはいただけないね。スコッチにしとけよ」
トムさんは笑いながら目だけは笑っていない表情でそう言った。

これはトムさんが俺に敵意を持っているってわけじゃなくて、たぶんそういうクセ何だと思う。

「バカ言え、この甘みが俺を癒やしてくれるんだよ」

そんな、バカ話をしている間にも、俺も、タカさんもトムさんも、ママでさえ、10%ほどの意識をさっき入ってきた女性に持っていかれている感じがあった。

俺もタカさんも、きっとトムさんもママも目の端でさっき入ってきた女性を捉えたと思う。

そして、みんな一瞬時が止まったような感覚に襲われたと思う。

女性は俺とは反対側のカウンターの端に座って俺たちを見ていた。

その頬には光る物が流れていた。

やれやれ。
そんな言葉が口に出さないまま、俺とタカ、トムの三人の間で共有された。

そんなとき、タカさんと座っていた4人がけのテーブルにいたトムさんが女性の方に向き直った。

トムさん

「お嬢さん、どうなさったね?
 この二人のバカ話がお気に触ったかな?」

トムさんが柔らかく問いかけた。
女性は一瞬ビクッとしてトムさんを見ていたと思う。
最近鳥目っぽくなっちまって暗がりだと表情が読み取りにくいんだよ。

葵のカウンターはそんなにデカくないんだけれど、俺には暗がりの中で人間の感情を想像出来る程は表情を読み取れない。
見ることが出来たのは彼女の頬に光るものを見つけることだけだったんだ。

タカさんとトムさんが座っていたテーブル席は俺と女性の中間点位。
トムさんのことだ、女性が入ってきた瞬間から一挙手一投足を眺めていたんだろう。
ありゃ、職業病だな。

本人から聞いたことは無いけれど、あのすり減らした靴。
多少くたびれたスーツ。
柔和な表情の奥に引っ込められている鋭い眼光。

そこまでくれば、刑事かなんかだって想像できるってもんだ。

人物感を感じ取る練習場として、スナックはうってつけの場所ってわけだ。

そして、その練習を今日もトムさんはせっせとやっていたに違いない。

「いえ、そんなことはないんです………。
 ただ、昔のことを思い出してしまって……」

「昔のこと?」
トムさんの問に対する女性の言葉があまりにも意外だったので、俺は思わず声に出してしまった。

「ホントはきっと皆さんからすれば他愛もないことなんだと思うんです。
 どこにでもある、当たり前の喜びの風景。
 それが失われてしまったことを思い出してしまって………」

最後の方は声がかすれてよく聞き取れない。

「それで、逃げ場所を探し回ってたってわけか」
トムさんのその言葉にギョッとしてトムさんを見る俺とタカさん。
急いでトムさんの脇に集まる俺とタカさん。
(おいおい、傷口に塩を塗り込むのはまずいって)
二人が異口同音にささやき声でトムさんに告げた後、トムさんはこう言った。

「良いんじゃねぇか?逃げたってよ。
 ここはあんたの逃げ場所になれそうかい?」

女性はハッとして顔を上げた。
まっすぐトムさんを見ている。

逃げても良い。
そのトムさんの言葉を肚に落とそうと必死になっているような表情だ。

そこにママが割って入ってきた。

「で、お嬢さん。飲み物は何にする?」

つづく


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