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貴乃花親方という生き方

ストイックな生き方ってやつについて、あんたはどう思う?

俺たちオッサンにとっては、毎日が妥協の産物ってやつになりがちだ。
上司の理不尽に妥協し、家族との決め事に妥協し、同僚の仕事っぷりにも妥協する。

妥協に次ぐ妥協で今という状況を作り上げ続けている。

そんな俺たちだからこそ、妥協を許さない態度を示しているヒトってやつから目を背けることが出来ない。

なんでそんなに真っ直ぐなんだよ。
困惑と羨望の入り混じったような感情で「妥協しないヒト」を見続けている。

今回は、俺たちオッサンと同世代の「妥協しないヒト」を取り上げて、その意味のようなものを探ってみようとする回だ。

ちっと一緒にその辛さの向こうにあるものを覗きに行ってみようじゃないか。

貴乃花親方という人物

今回考えてみようと思ったのは貴乃花親方だ。
あ、元をつけなければ良くないのかな?

貴乃花親方の生き様ってやつは、ものすごく筋を通して生きているって印象が強い。
あんたもそう思うだろう?

現役時代のあの鬼の形相の一番は印象深いよな。

あの時はたしか生放送を見ていたと思うんだが、画面に向かって普通につぶやいてしまった記憶がある。

「鬼がいる」

本当にそう感じたんだよ。
まるで何かに取り憑かれているんじゃないかって思わせる形相だった。

相撲という一つのことを極めようとして、そのあまりに高い目標は周囲との隔絶を生む事になったんだろう。

貴乃花親方の人生を傍から見ていると、とても幸せとはいい難いものを感じる。

宮沢りえとの婚約話だって、一人で泥をかぶるような形で批判を一身に受け、実際に結婚した河野景子さんとの結婚生活は、その身を捧げてきたような相撲協会との決別とともに終焉を迎えた。

なあ、なんだろう。
貴乃花親方は悪いことをしたんだろうか?

思わずそんな言葉が思いついてしまうほど、貴乃花親方の人生ってやつに「幸せ」の言葉を見出すことは俺たち妥協オッサンにはできない。

あれだけ頑張って、歴代6位の優勝回数を叩き出し、若貴時代と呼ばれるような時代を牽引してきた貴乃花親方に対する、世間の仕打ちはあまりにも凄惨だ。

今、全身全霊をもって取り組んできた相撲を取り上げられ、妻と別れ、手元に残ったのは「貴乃花」という名前くらいなものかもしれない

あれだけの思いで相撲に人生を捧げてきたヒトの状態としては、あまりにも残酷な現実だとおもわないかい?

貴乃花親方が孤立する事実

なぜ貴乃花親方は孤立してしまったのか。

それこそが俺たちオッサンが妥協し続けている意味なんだと思う。

要するに俺たちオッサンは誰からも嫌われたくないんだ。
仲間からも好かれたい。
上司からも認められたい。
家族と仲良く暮らしたい。

そんな欲のようなものが俺たちに妥協を強いる。

その妥協をしないことで、貴乃花親方は周囲との距離を取らざるを得なかったってことなんだろう。
周囲との馴れ合いの延長にある幸せよりも、自身のこだわりに身を捧げたんだ。

これって正しいことなんだろうか?

「正しさ」がヒトにとっての虚構に過ぎないことはサピエンス全史にも書かれているが、その虚構を共有することでヒトは発展してきた。

では、言い換えよう。
貴乃花親方のこだわりはヒトを発展させるんだろうか?

貴乃花親方のこだわりは、周囲に多大な恩恵を与えていると思う。
力士であれば、あの様になりたいと思っている力士も多くいるだろうし、元弟子の人々は今の相撲をとっているだろう。

2019年5月に設立した一般社団法人貴乃花道場でも多くの人に関わっていくことになるんだと思う。

それでも貴乃花親方と周囲の距離ってやつは縮まることはないんだろう。

彼が彼自身の思いに従う以上は、その思いと完全に同調できるヒトなんてのは居るはずがないんだから。

それは貴乃花親方が特別ストイックだからってわけじゃない。
俺たちはインターネットの出現で思い知らされている事実があるからだ。

ヒトは誰も同じじゃない。いや、同じにはなれない。

ネットの普及で俺たちが共通の話題ってやつを剥奪されて、お互いの仲間をSNSで求める構図になった。
そこでわかったのは、「自分と同じ考え方」ってやつは厳密にはありえないってことだ。
SNSでやり取りをすればするほど、俺たちは俺たちの独自性ってやつを思い知る。

深く突っ込んでいくほど、他者と自分の考え方の違いが浮き彫りになる。

そこで俺たちは妥協という手段をとっている。
でも貴乃花親方はその手段を使うことが出来ない。
それを貴乃花親方は自分に許すことが出来ない。

なあ、あんたはどう思う?

貴乃花親方が幸せそうに見えないって今の状態は、俺たちが望む現実なんだろうか?

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