オンデマンドが俺たちに与える影響
オンデマンドのサービス。あんたも使っているかい?
ウチの場合は、HuluとAmazonPRIMEのAmazonVIDEOを併用してるんだが、我が家では地上波放送を見る機会が激減したな。
今回はオンデマンドサービスを使ってみて思った俺たちへの影響の話だ。
シンプルにメリットデメリットを整理する話じゃないんで、少し付き合ってくれよな。
オンデマンドってやつは、思った以上に時間を自分から奪って行くものだ。
特に子供にとっては中毒性すら感じさせる。
確かに自分も子供の頃は擦り切れるほど同じビデオを見まくってたな。ヤマトに999にドラえもんにルパンにな。
子供のコンテンツ選びの傾向を見ていると、シリーズもののチョイスが目につく。
ポケモンにコナンにルパン。
ちっちゃいときにはアンパンマン。
子供は好きなものを繰り返し見るもんだってってのは分かる。ただ、一つ気づいたことがある。
親の知らないコンテンツは見てないって事だ。
つまり俺たち親は知らないうちに自分のチョイスを押し付けてるって事になる。
そんなの地上波見ていても同じだろってあんたは言うかもな。でもちょっと考えてみ?
俺たちが子供の頃、親たちに奪われていたのは番組の選択権か?
多分違う。俺たちが手にしたくても手にできなかったのはチャンネル選択権だ。
おなじじゃろうが!って言う前にちょっと聞いとくれよ。
チャンネルはそのままってフレーズが象徴するように、俺たちは基本的に現状維持を目指すもんだ。
だもんで日テレを一度チョイスしたら、その流れで番組を見ちまう。鉄腕ダッシュを見た流れでイッテQを見るみたいにな。
そこには番組構成の文脈みたいなものがあって、その文脈に従って俺たちはテレビと言うコンテンツを楽しんでいたわけだ。
だからこそ、北斗の拳を見たあとにバラエティを見ても違和感がなかったわけだな。
ところが、オンデマンドにはその文脈がない。
あるのはコンテンツを選択する俺たちの嗜好ってやつだけだ。
コレが何を意味するか?
俺たちは俺たちの好みの範囲を意識しなければ俺たちの好みの範囲を広げることが出来ないってことだ。
You Tubeを始めとするコンテンツはキーワードという扉を抜けた先にある。そのキーワードは見る側のニーズを具体化する文字通りの鍵だ。
その鍵を手に、俺たちの嗜好はどんどんと偏りを見せていく。しかも昔好きだったものをなぞる方向にその偏りは傾斜していく。
そうなると、もう抜け出せない。昔見て好きだったものを追い求めるようになっちまって、自分の好きなものを広げていくことができなくなっちまう。
だからといって、地上波見とけ、ボケって行っているわけじゃないぞ。
インターネットが生活の一部に溶け込んでいるってことは、全ての事においてオンデマンドが染み渡ることを意味するわけだからな。
意識をしないと自分の認識を広げることが難しい世の中になっているってこった。
まあ、趣味程度なら良いが、自分の見識が凝り固まるのは問題だ。凝り固まった見識は他者の廃絶につながり、ついには孤独へとつながる。
ネットであらゆる情報が飛び交う中、その情報の選択に偏りが出ることで、自分の世界が小さくなっていく。
コレが皮肉でなくて何だ?
では俺たちはどうすれば偏りなく世界を見ることが出来るのか?
それは他者目線だ。
自分の為ではない、誰かのための何かを探そう。
どこかの誰かの未来のために、俺たちは俺たちの好き勝手に誰かのための何かを探そう。
それはあんたの大切な人のためでも良い。
それはあんたの顧客のためでも良い。
あんたは、誰のために世界を眺める?
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